菅原道真 すがわらのみちざね

承和12年6月25日(845年8月1日)〜延喜3年2月25日(903年3月26日)


元慶元年(877)、文章博士となる。
寛平6年(894年)、遣唐使中止を建言。
仁和2年(886年)、讃岐守として赴任、阿衡あこうの紛議以降、宇多天皇の知遇を得て参議となり、昌泰2年(899年)には右大臣に昇る。
延喜元年(901年)に従二位となったが、藤原氏の讒言により突如大宰権師ごんのそちに左遷されて、失意のうちに当地で没した。
死後、怨霊として恐れられ、天神として祭られる。
正歴4年(993年)贈正一位・太政大臣。
『三代実録』の編纂事業に参加、宇多天皇の命で『類聚国史』を編述した。


菅大臣神社



菅大臣かんだいじん神社

(京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町)

伝・菅原道真誕生地



(平成19年3月16日)

菅大臣神社

祭神 菅原道真公、尼神あまがみ、大己貴命おおなむちのみこと

社地は約1千年前、天神様すなわち菅原道真公(845〜903)の紅・白梅殿というお邸や、菅家廊下かんけろうかと称する学問所の跡で、また公、誕生の地と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されている。
仏光寺通を中心に南北二町、東西一町が当時のお邸で、公、大宰府へ左遷に当たり
   東風吹かばにほひおこせよ梅の花
               主なしとて春なわすれそ
と詠まれた飛梅の地である。
神社は公没後間もなく創立されたが、度々兵火にかかり、鎌倉期には南北両社に分れ、当社を天神御所、白梅殿社北社を紅梅殿社と呼んでいた。
応仁の乱後慶長19年に、菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王により再興され、今日に至っている。
この間、天明の大火、元治の兵乱で再度焼失するが、現本殿は、天保6年(1835)造立の三間社流造さんげんしゃながれづくりという下鴨神社の旧殿を、明治2年に移築し、その後幣殿を建立して、いわゆる八棟やつむね造をなしている。

(説明板より)




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