駆逐艦 杉 すぎ


駆逐艦杉戦没者慰霊碑



駆逐艦 杉 戦没者慰霊碑
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

建碑の詞

あれから星霜三十有余年の才月も容赦なく過ぎ去ろうとする今駆逐艦杉生存者一同相計りあの大東亜戦争末期かの過酷な余りにも厳しい悪條件下のレイテ沖海戦を始め幾多の戦いにも只々ひたすらに祖国日本の為に散華された戦没者の英霊よ永遠に安かれと願い懐かしい母港が一望出来る此地佐世保東山旧海軍墓地に慰霊碑建立しました
慰霊碑に瞑する時あの童顔の中にも逞しい姿、かけがえのない青春おも、いといもせず殉じた戦友の思影が脳裏の底に髣髴します
遺族に変り戦友を偲び折り見て私達が此処を訪づれ戦友を吊い香華する中に亦得がたいものがあろうかと思います
且つ動静の場としたいものです
今日祖国日本も平和の一言につきます経済的にも一驚する発展を遂げました
而し片時も忘れてならない心すべき事は極限の中にも動ぜず殉じた戦友の代償でなくてなんでありましょう
駆逐艦「杉」の名に恥じない諸勇士の不滅なる武勲を永久に後世に伝へ祖国日本の真の平和を吾々の手で「シッカリ」守り二度と繰り返してならない戦争の悲惨を固く心に誓い其の平和の永久ならん事を祈り乍ら駆逐艦杉戦没者戦友よ祖国の土に安らかに瞑って下さい

昭和54年3月10日
駆逐艦杉生存者一同建立

(碑文より)

駆逐艦杉艦之歴

昭和19年8月一等駆逐艦丁型第7番艦として大阪市藤永田造船所にて進水
同時に第2艦隊第52駆逐隊に編入される
昭和19年11月航空戦艦伊勢日向等を護衛し新南方郡島方面に出撃無事任務完遂し12月9日容■状勢極めて重大な折りマニラを基点とし大東亜戦争最後の決戦と云っても過言でない且つ反攻に転ずべき作戦参加の為マニラに急行す
直に第8次多号作戦レイテ島緊急輸送任務につく
無事任務完了し帰途につくや二十数機からなる敵艦載機の攻撃受ける
杉艦も日頃の練磨此の時と対空砲火を浴びせる
将に食うか食われるかの死斗数十分
勇猛を以ってなる戦友も数を持っての攻撃の前に斃れ傷つき上甲板は血で塗られ阿鼻叫喚そのものだが執拗な艦載機の攻撃に傷つき乍らも渾身の力をふるい自分の機銃に取りすがろうとする戦友の姿こそ海軍魂の権化であり鬼神そのものだった
杉艦も重油タンクに被弾し重油洩れを応急処置しながらマニラ港に帰る
杉艦突貫工事に依り修理完了後乗組員補充後寸暇の暇なく礼号作戦ミンドロ島サンホセ夜襲戦に参加す
思うに12分隊員に至っては殆ど補充状態
如何にレイテ島輸送作戦が熾烈且つ過酷な戦いであったか如実に物語って居る
サンホセ夜襲戦果大なる
杉艦マニラ帰港中なるも空襲激化のため高雄入港余儀なくされる
而し空襲に依り杉艦被弾し止む得ず内地に還る
恐らく二度と母港に帰る事はあるまいと固い決意の出撃だった母港の土を踏む
杉乗組員に取って其の心境は複雑なる一言につきる
幾多の戦友を失ない日増に戦局は厳しさを増して居たから母港での修理を終り戦艦大和護衛の為広島湾に向う
その戦艦大和を初とする第一水上特攻隊の壮烈なる最後を数日後知り出撃の機■なく呉港にて終戦を迎える
万感胸を打つ只々慟哭するのみ
杉艦昭和22年7月15日迄海外引揚者輸送に従事す
7月27日乗組員に取って杉艦と最後の日であった
中華民国に引き渡される為静かに母港を後にする杉艦
喜怒哀楽を共にした杉艦と二度と会う事はあるまいと思へばとめどもなく頬をつたう涙■
日本駆逐艦で最も栄光ある杉艦の多倖を祈らずば居られない

(碑文より)

駆逐艦杉戦没者慰霊碑
一等駆逐艦
松型(丁型)駆逐艦の7番艦
昭和19年8月25日、藤永田造船所で竣工

戦時急造の簡易型であり、格好も曲線のないゴツゴツした感じのものだった。
特徴はシフトエンジンになっており、護衛艦種駆逐艦として活躍。
比島沖海戦では小沢艦隊に属す。
10月24日午後5時、「杉」は「桐」と共に燃料補給のため機動部隊から分離。
高雄へ向うべく命令ぜられたため、空襲は避けることが出来た。
2艦は高雄入港後、27日に同地を出発、同日の午後3時10分、奄美大島に無事到着し、機動部隊残存隊に合流した。
10月末から12月中旬にかけて実施されたレイテ増援輸送作戦(多号作戦)に参加。
続いて昭和19年12月24日に実施された「礼号作戦」に第一挺身隊の一艦として参加。
「礼号作戦」とは、重巡2隻、駆逐艦6隻をもってミンドロ島のサンホセ地区に上陸した米軍に対して殴り込みをかけた作戦である。
挺身隊は12がつ24にち午前9時カムラン湾を出撃。
午後8時45分以降敵機の空襲が始まる。
午後9時15分、「清霜」が直撃弾を受け沈没。
午後10時50分、「杉」は至近弾を受け射撃指揮装置などが使用不能となった。
午後11時45分から約15分間、各艦はブスアンガ河口の敵物資集積所を砲撃したのち引き揚げた。
「杉」は護衛輸送作戦に従事し、終戦を内地内海西部において迎えた。
戦後、復員輸送に従事した後、昭和22年7月26日佐世保を出港し、8月1日、上海で中華民国に賠償として引き渡され、艦名を「恵陽」と変えられた。
碑は昭和54年3月10日建立。
大戦中の戦死者43名の霊を祀る。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【松型】

ガダルカナル島攻防戦とは日本海軍にとっては陸軍への補給をいかに成功させるかという戦いでもあった。
そこで、輸送物件を駆逐艦に搭載して運ぶ方法が採られたが、その結果、日本の駆逐艦の被害はうなぎ上りとなり、ソロモンは「駆逐艦の墓場」とまで言われるようになった。
このような背景から、多少性能的には低くても急造出来、補給作戦や護衛作戦に適した簡易駆逐艦の量産が求められた。
改マル5計画で建造を予定していた「夕雲」型8隻、「秋月」型23隻の建造を取りやめ、この急造駆逐艦を昭和20年末までに42隻完成させるという建造計画の変更をおこなった。
この簡易駆逐艦が「駆逐艦丁」と呼ばれた「松型」である。
昭和18年2月に決まった計画案では、基準排水量1250トン、主機に水雷艇「鴻」型のタービン2基、速力28ノット、航続距離は18ノットで3500海里、兵装は12.7センチ連装高角砲1基、同単装1基、25ミリ3連装機銃4基、53.3センチ6連装発射管1基、爆雷投射機1基、爆雷36個などである。
実艦はほぼこの通りに完成したが、魚雷発射管は53.3センチでは威力不足のため、スタンダードな61センチ4連装発射管となった。
魚雷は九三式酸素魚雷である。
主砲の搭載はあきらめ、高角砲を搭載したが旧式の八九式で、しかも射撃指揮装置は簡易式。
機関は従来の駆逐艦の三分の一強の出力しかないが、日本の駆逐艦では初めて2組の機関を前から缶、機械、缶、機械という順番のシフト配置をしている。
これは多少被害を受けてもどちらかの機関が生き残る可能性があり、生存性を向上させることになった。
本型の一番艦「松」は、昭和18年8月8日に起工され、およそ9ヶ月の工期であったが、これは第一艦のために手間取ったためで、その後は約6ヵ月間で完成するようになった。
「松」竣工直前の昭和19年3月、本型の工事簡易化を更に徹底させ、工期3ヶ月に縮めることを目標とした改型が計画され、「橘」型とも呼ばれている。
ここに至って全面的に電気溶接が使われ、ブロック工法と船体の直線化などが取り入れられた。
これらの艦は昭和20年以降に竣工している。
本型は、昭和17年の戦時建造計画により42隻、更に18年以降の戦時計画により20隻、合計62隻を建造せんとしたが、諸事情で約半数の32隻が終戦までに完成した。
本型は昭和19年10月までには10隻以上が竣工しており、対潜機動部隊の第31戦隊が編成されるまでになっていた。
比島沖海戦では、艦隊型駆逐艦の多くが主隊である戦艦・巡洋艦部隊にまわされ、囮の空母部隊の護衛が足りなくなったため、第31戦隊から「桑」「槇」「杉」「桐」と防空巡洋艦となった旗艦の「五十鈴」が参加。
沖縄作戦以降、第31戦隊は行動可能な駆逐艦20隻近くを擁する唯一の戦力発揮可能な部隊であり、その半数以上が本型で占められていた。
速力が低い以外は、成績は極めてよく、相当の被害を受けても沈没するものは稀であった。

【要目】
公試排水量:1530トン
機関出力:1万9000馬力
速力:27.8ノット
航続力:18ノットで3500海里
乗員数:211名
兵装:12.7cm連装高角砲×1
    12.7cm単装高角砲×1
    25mm3連装機銃×4
    25mm単装機銃×8
    61cm4連装魚雷発射管×1

【同型艦】
松 昭和19年4月28日竣工〜昭和19年8月4日戦没
竹 昭和19年6月16日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
梅 昭和19年6月28日竣工〜昭和20年1月31日戦没
桃 昭和19年6月10日竣工〜昭和19年12月15日戦没
桑 昭和19年7月25日竣工〜昭和19年12月3日戦没
桐 昭和19年8月14日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
杉 昭和19年8月25日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し
槇 昭和19年8月10日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
樅 昭和19年9月3日竣工〜昭和20年1月5日戦没
樫 昭和19年9月30日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
かや 昭和19年9月30日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
なら 昭和19年11月26日竣工〜終戦時残存・解体
櫻 昭和19年11月25日竣工〜昭和20年7月11日戦没
柳 昭和20年1月18日竣工〜終戦時残存・解体
椿 昭和19年11月30日竣工〜終戦時残存・解体
ひのき 昭和19年9月30日竣工〜昭和20年1月5日戦没
かえで 昭和19年10月30日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し
けやき 昭和19年12月15日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
柿 昭和20年3月5日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
樺 昭和20年5月29日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
橘 昭和20年1月20日竣工〜昭和20年7月14日戦没
つた 昭和20年2月8日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し
萩 昭和20年3月1日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
すみれ 昭和20年3月26日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
くすのき 昭和20年4月28日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
初桜 昭和20年5月28日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
にれ 昭和20年1月31日竣工〜終戦時残存・解体
梨 昭和20年3月15日竣工〜昭和20年7月28日戦没
しい 昭和20年3月13日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
えのき 昭和20年3月13日竣工〜終戦時残存・解体
雄竹おだけ 昭和20年5月15日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
初梅 昭和20年6月18日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し

(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)
(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)




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