杉原千畝 すぎはら・ちうね

明治33年(1900年)1月1日〜昭和61年(1986年)7月31日


岐阜県出身。
大正8年(1919年)、早大専門部在学中、外務省留学生試験に合格。
大正13年(1924年)に外務省入省。
昭和15年(1940年)カウナス(リトアニアの首都)の日本領事館領事代理の時、ナチスの迫害を逃れたユダヤ人らにビザを発給した。
昭和22年(1947年)帰国。
昭和24年(1949年)外務省を辞職。
昭和44年(1969年)イスラエル政府から「イスラエル建国の恩人」として表彰を受ける。


記念植樹



記念植樹
(福井県敦賀市・旧敦賀港駅舎脇)





(平成20年4月11日)

ユダヤ難民日本最初の上陸地 敦賀
杉原千畝夫人・幸子氏来敦記念の植樹

第二次大戦中、ナチスの迫害から逃れようとしたポーランド系ユダヤ人に、当時のリトアニア領事代理・杉原千畝氏(1900〜1986)は、人道的立場から日本通過ビザを発給しました。
彼の行為により約6000人ものユダヤ人が救われたと言われています。
難民たちの多くは、杉原氏の発給した「命のビザ」を手に、シベリア鉄道経由でウラジオストクに向かい、日本海を渡って私たちの町、敦賀に上陸しました。
「はるぴん丸」や「天草丸」などの客貨船で、1940年8月から翌年6月までの間に数多くのユダヤ人難民が敦賀港に降り立ちました。
彼らにとって敦賀は、初めて踏み締めた日本の地であり、自由と平和を実感した場所です。
2001年7月20日、杉原千畝氏の夫人、杉原幸子さんを初めて敦賀にお招きいたしました。
これを記念するとともに、杉原千畝氏の偉大な功績を讃え、敦賀港が果たしてきた歴史的役割を後世に伝え、リトアニア共和国との友好と交流を希望し、ここに両国の代表的な桜(ソメイヨシノ)と樫の木を植樹いたします。

2001年7月20日
敦賀サマーフェスティバル実行委員会

(説明板より)


【美談の胡散臭さ】

杉原氏は帰国後、外務省を辞める羽目になり、やがてNHK国際局に2年ほど勤務し、その後、商社マンになった。
氏は晩年、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受賞したりして「時の人」になる。
氏の美談は、近年、映画やテレビ・ドラマなどになり、夫人の杉原幸子氏はテレビ出演などする一方、『六千人の命のビザ』という著書を出している。
著書の中に、タチヤーナさんのことも若干出てくるのだが、タチヤーナさんの杉原氏に対する見方には、美談とは裏腹に、厳しいものがある。
タチヤーナさんは杉原氏のことを、「わたしは、人間として許せない」とポツリともらした。
先行きどうなるかわからない収容所での暮らしや、困難を極めた長旅で、共に苦難を味わい助け合いながら、日本にたどりついた仲間のはずなのに、タチヤーナさんの、杉原氏に対する評価には、世間のもてはやす「美談」に、水をかけるような厳しいものがある。

こういう噂もある。
杉原氏やタチヤーナさん一家をはじめ日本の大使館、領事館関係者がルーマニア軍の収容所に1年4ヵ月収容されていたとき、ソ連当局の取調べがあったが、杉原氏はタチヤーナさんの主人の野村三郎氏など大使館関係者について、彼等は日本帝国主義のスパイだと供述した。
そして日本に帰国して、GHQに事情聴取された際は、野村三郎氏たちのことを、彼等はソ連のスパイに関係している・・・・といった意味のことを供述したという。
そのため、野村氏はGHQから、かなり執拗に事情聴取されたようだ。
「その噂は、否定しません」とタチヤーナさんは、重い口を開いてポツリといった。

杉原氏の美談にまつわることに関して、野村氏も「忘れた」として多くを語ろうとしない。
いっしょに「長旅」をした大使館、公使館関係者も、イスラエル政府への配慮なのか、なぜか口をつぐんでいる。

平成元年、NHKで「ユダヤ人を救った千五百枚のビザ」というラジオ・ドキュメンタリーが放送されたことがあった。
杉原氏を俳優の江守徹が演じ、村田幸子アナウンサーが語り手で、その間を杉原夫人へのインタビューでつないだものだった。
この作品は、平成元年度、ラジオ・ドキュメンタリー部門で芸術作品賞を受賞している。
しかし、どういうわけか、それから数年後出版された夫人の著書では「千五百人」が「六千人」に増えている。
一家に一枚のビザを与えたので、一家族平均4人として、4かける1500で6000人といいう数を弾きだしているのだろうが、ビザは子供場合、1枚にまとめて記されることはあっても、大人に関しては一人1枚が常識ではないのか。
6千人という数には、誇張があるような気がしてならない。

杉原氏自身は、生前、ユダヤ人にビザを発給したことについて、固く口を閉ざしていた。
美談は杉原氏の死後、夫人によってひろがり、これにマスコミが飛びつき、増幅された趣がないとはいえない。

(参考:香取俊介 著 『昭和情報秘史〜太平洋戦争のはざまに生きて〜』 1999年第1刷発行 ふたばらいふ新書)

(平成27年10月19日追記)




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