杉亨二像 平成20年11月22日

杉亨二 すぎ・こうじ

文政11年8月2日(1828年9月10日)〜大正6年(1917年)12月4日

長崎県長崎市・長崎公園でお会いしました。


日本における近代的統計調査の創始者。
肥前国長崎生まれ。
はじめ緒方洪庵、のち杉田成卿せいけい門下で蘭学を学ぶ。
開成所教授として蘭書翻訳にかかわるなかで統計書に触れ、統計学を志す。
明治2年(1869年)静岡県で人口調査を実施。
翌年、太政官正院政表課大主記となる。
明治12年(1879年)に山梨県下で実施した『甲斐国現在人別調』は日本初の本格的人口調査。


杉亨二先生の像



杉亨二先生之像
(長崎県長崎市・長崎公園)





(平成20年11月22日)

碑文

法学博士杉亨二はわが国統計学の開祖であって文政十一年(1828)十月長崎市本籠町に生まれた
はやく父母を喪い時計師上野俊之丞の学僕となり次で村田微齋に知られのち大阪の緒方洪庵塾に学びさらに江戸杉田成郷門に入った蘭学大に進み勝海舟又識られ閣老阿部正弘の知遇を受け万延元年蕃書調所教授手傳のち開成所教授に進んだ
洋書を通じ初めて統計の学に接しその有用性を認め研究に努めた
明治維新に際し徳川家に従って駿河に移り人別調(人口調査)を試みさらに政府に政表取調(統計調査)の要を建白し容れられて明治四年太政官正院に政表課が設置されるとともに大主記に任ぜられこれを主宰した
翌五年日本最初の統計年鑑たる辛糸政表を刊行し又その唱道した国勢調査の開始に先ち明治十二年甲斐国現在人別調を実施した
明治十八年統計院廃止とともに官を辞した
学士院創立と同時に会員となる
大正六年(1917)十二月四日九十歳をもって逝く
従四位勲二等に叙せられた

北村徳■郎撰并書





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