4.マニアックな市内観光

(スリガオ)


平成21年(2009年)10月24日 (第2日目)

午後3時、ミス・リズリーが運転手付の市の車で迎えに来てくれた。
早速、市内観光に出かける。
まずは、彼女が紹介したいという「ペブル・ビーチ」という海岸に向かう。
ここの海岸は砂浜ではなく、石ころ・・・・
これが約1kmも続いているのだという。

ペブル・ビーチ ペブル・ビーチ

しかも、この石は、すべてのものが角が取れていてツルツルなのである。
角のある石はひとつもない。
これが延々と海岸線に沿って続いているのである。
「日本にもこういう海岸はありますか?」と尋ねられたが・・・・
私はこういう海岸が日本にあるのかどうかは知らない。
「私が知っている限りでは・・・」と付け加えて話したいのだが、それを英語ではどう言えばよいのかわからない。
こういう、ちょっとした言い回しが出来ないから、「たぶん・・・ない!」としか言えない。
あ〜!!!もう少し何とかならんか!自分の語学力の低さに腹が立つ。

しかし、それにしても全ての石がツルツルしているとは奇妙である。
「近くに川がないか?」と尋ねたが、「川などはない」と彼女は言う。
「山のほうから石が転がってきて、その間に角が取れてツルツルになったのならわかるんだが・・・」という話をしたが、やっぱり答えは「川などはない」である。
そうなると・・・・海の中で転がって、そのうちに海岸に打ち上げられたということになるのかな?
それにしてもすごい数ではないか・・・・この石の数・・・・
こりゃ、「世界の七不思議」に加えてもいいんじゃないか?(笑)

続いて、フェリー乗り場に向かう途中、ちょっと小高い場所を通りかかった。
「向こうに見えるのがスリガオの町です」と言われたが・・・・

スリガオの町 遠くにスリガオの町・・・

う〜ん・・・・どこに町があるのやら・・・・
高い建物がないのでわからない。(笑)

まもなく、フェリー乗り場に到着。
この敷地内にある「スリガオ海峡海戦記念碑」を見学する。
ここで、明朝、式典が行われるのだそうだ。

スリガオ海峡海戦記念碑
BATTLE OF SURIGAO STRAIT
24-25 OCTOBER 1944

BATTLE OF SURIGAO STRAIT

Before dawn of 25th October 1944,the U.S. Seventh fleet under the Command of Admiral Thomas C. Kinkaid engaged the Japanese fleet known as the Southern Force under Vice Admiral Shoji Nishimura in a night battle at Surigao Strait.this force , later joined by the Fifth Fleet under Vice admiral Kiyode Shima , was decisively defeated by the American armada consisting of some battleships that were present at Pearl Harbor on 07 December 1941 during the Japanese sneak attack of this U.S. base that led to World War U.

Not quite a few naval historians described the battle of Surigao Strait as one of the greatest sea battles in history. it was definitely the last major surface engagement of such magnitude and also the last one where the classic “T” formation was achieved, in this case by American force, against an enemy fleet 

This victory of the Seventh fleet at Surigao Strait saved the liberation force of General Douglas MacArthur at Leyte Which landed there on 20 October 1944 from possible annihilation.

What prime Minister Winstone Churchill called the “Hinge of Fate” finally turned irreversibly in favor of the Allied Forces in the Pacific at Surigao Strait. 
A marker of the
SURIGAONON HERITAGE CENTER
25 OCTOBER 2001

このスリガオ海峡海戦というのは、昭和19年10月25日未明に起こった夜戦で、レイテ海戦の中の一つの海戦である。
レイテ島に上陸したマッカーサー軍を攻撃するため、連合艦隊は戦艦大和を主力とする栗田艦隊を攻撃に向かわせたが、この時に別行動を取って、別のコースからレイテ島に向かったのが、西村艦隊と志摩艦隊。
西村艦隊がスリガオ海峡に差し掛かった時、アメリカ艦隊の待ち伏せに遭い全滅。
続く志摩艦隊も途中まで突入したが被害を受け突入を断念・・・・
この海戦を記念して、2001年、「スリガオノン・ヘリテージ・センター」の手で記念碑が建立された。

ふ〜ん・・・・ここで明朝、式典が開催されるのね・・・・


より大きな地図で スリガオ海峡海戦記念碑 を表示

フェリーターミナル フェリーターミナル

右端の女の子が“ミス・リズリー”

フェリーターミナルの責任者を表敬訪問。
明朝の式典で日本代表として参加する旨を伝えて挨拶する。
ターミナルの2階に、スリガオ海峡海戦の展示スペースがあり、ちょうど模様替えの最中。
責任者の案内で見学する。
作業者がトンカチを振るっているわ、ペンキは塗ってるわ・・・
明朝の式典に合わせるって言ってたけど・・・・
間に合うのかい?
展示写真の中に「栗田長官」のものがあったが、どう見ても栗田さんじゃない。(笑)
西村長官のような気がするんだよなぁ〜
栗田さんってこんなに温厚な顔していなかったと思うんだよなぁ〜(笑)
一応、この写真は名前が間違っているみたいだよ・・・ということだけは伝えておいたが・・・・
日本に帰ったら調べないといけないな。

スリガオ海峡 多分・・・こっちの方角がスリガオ海峡だと思う・・・
灯篭 ヤシの実で作られた灯篭

これは、椰子の実を利用して作られた灯篭・・・・
花で飾られていて、内部にロウソクがある。
これに火をともして海に流すという。
式典は日が昇る前の、まだ真っ暗な午前4時から始まるという。
この時に使うため用意しているのだそうだ。
ということは・・・・「精霊流し」みたいなことをするらしい。

続いて市内中心部に戻る。
さぁ〜!ここからがマニアックな市内観光の始まりである!(笑)

持参して来たのは、第10独立守備隊第35大隊に配属された憲兵分遣隊の資料。
嶋貫良次(階級不明)が隊長をしていた「スリガオ憲兵分遣隊」の陣中日誌の中の配置図である。
この配置図は昭和18年2月1日から2月28日の時のもので、分遣隊は2班(もしくはそれ以上)に分かれていたようである。
第1班は前田曹長、田中兵長、中本一等兵、副島通訳と6名のフィリピン人警察官。
第2班は宮本伍長、笹原上等兵、能森通訳と7名のフィリピン人警察官である。
この時期のスリガオ憲兵分遣隊の総員は14名で、16名に増えた時もあったようであるが、この配置図の中に個人名が出てくるのは通訳を含め8名だけである。
スリガオ市内の中心部にはこの8名だけがいて、この町の中心から離れた別の場所(この地図以外の場所)に残りの人達が配置されていたのかもしれない。
いずれにせよ、この配置図を参考に町の中を歩くことにした。
が・・・私の接待役のミス・リズリーに、この地図を見せて市内散策の目的を話したのだが、どうも彼女には私の目的が理解できないようである。
女性では、戦時中の事なんかには興味はないだろうから無理もないかもしれない。

市役所 左側の建物が現在の市役所(City Hall)
右側に隣接する建物はSurigao City Auditorium(スリガオ市公会堂)である。

ここは昭和18年当時は州庁舎だった。


より大きな地図で スリガオ市役所 を表示

ルネタ公園 ルネタ公園(Luneta Park)

市役所の目の前にある公園。
昭和18年当時もこの公園はあった。
公園の中のホセ・リサールの像

LA PROVINCIA
DE
Surigao
AL ILUSTRE PATRICIO
DR.JOSE RIZAL
スリガオ大聖堂
SAN NICOLAS de TOLENTINO CATHEDRAL

公園の向こう側にある教会。
昭和18年当時にもここに教会があったが、現在の教会が当時のものなのかどうかは不明。

ここを散策中にミス・リズリーが何やら言うのだが・・・・意味不明・・・(笑)
しきりに「シュー」と言うのである。
よくよく話を聞いてみると、イメルダ夫人(マルコス元大統領の奥さん)は靴を集めることで有名だったそうで・・・・
それと何やら関係がある話らしい。
(英語ができないと、本当に不便だぁ〜)
「シューって・・・何?」
「シューですよ、シュー!イメルダ!知ってますか?イメルダのシュー!」
「それは・・・シューズ(靴)のこと?」
「そう!」
「それが、どうしたの?」(笑)

わからねぇ〜(笑)
「靴の博物館があるの?イメルダが集めた靴の・・・?」
「違います!」
「う〜ん・・・じゃ、靴のお店?」
「違います!」
まるで、連想ゲームである・・・・(笑)

で・・・結局何かと言うと・・・・
靴のモニュメント!(笑)

靴のモニュメント 靴のモニュメント

煙突かと思ったがそうじゃない・・・
火の見櫓かと思ったがそうではない・・・
公衆便所かと思ったらそうじゃない・・・・
ブーツの形をした建造物。
窓のようなものがあるので、中に入れるような建造物であるが・・・
何に使われているのか、全く分からない。(笑)

靴が片方しかないから「シュー」なのだ!
2つあれば「シューズ」・・・か・・・・(笑)
マルコス大統領の時代に作られたものらしいが・・・・これ・・・何の意味があるの?(笑)
さんざん苦労して会話をした結果が・・・・これである。

映画館跡 BDOと書かれた青い看板の建物の向こう側あたりに、昭和18年当時、映画館があった。
今は映画館はない。

彼女に聞いたら、スリガオには映画館は1つもないのだそうだ。
「戦時中のほうが文化的だったのではないか?」と言ったら笑われた。

ルネタ公園の脇にある小さな果物屋さん。

ここで「FUJI」と名付けられたリンゴが売られていたが・・・
日本の「ふじ」とは似ても似つかない小さなリンゴであった。(笑)
市役所の前の道。
左の建物はショッピングセンター
昭和18年当時、ここにスリガオの町役場があった。

町の中心部を歩き回り、続いて市役所の車でスリガオ港へ連れて行ってもらう。


より大きな地図で スリガオ港 を表示

スリガオ港

ここの事務所の許可を得て構内を撮影する。
ここは戦時中もスリガオ港として使われていた海上輸送の要衝である。
今年の春に一緒にミンダナオ島のダバオへ行った藤井さん(当時海軍の少年兵)は、終戦間際にダバオからこのスリガオへ向かう命令を受けたという。
スリガオへ行けば、この港から船で日本へ脱出できるのではないかということだったらしい。
が・・・スリガオへ向かう途中、終戦となり、ダバオの収容所へ送られたのでスリガオへ行けなかったと言っていた。
もし、ここまでたどり着いていれば「藤井さん思い出の地」となっていた港である。(残念・・・笑)

この港には、当時、スリガオ憲兵分遣隊の第1班(前田曹長、田中兵長、補助憲兵の中本一等兵、副島通訳)がここに配置されていた。

「スリガオ興発組合」跡附近

港の前の道。
道路の左側の建物の並び、その奥のほうに「スリガオ興発組合」というのがあった。
その裏の路地には「ダンスホール」もあった。

市役所の車で移動しているため、そうそう変な場所に止めさせるわけにもいかぬ。(笑)
しかも、私が何をしているのかは、若いドライバーもミス・リズリーも理解できない様子。(笑)
「とにかく、ここで待っていてくれ。俺は歩いて写真を撮ってくる!」と言って彼らから離れるが・・・・
彼らも“お客様”に何かあっては大変と、「車が来ますから!危ないですから!」の連発。
心配顔でハラハラしている様子を見ると、そうそう勝手に遠くまでは行けない。
途中で、日本の憲兵隊宿舎跡と思われる古い建物を車窓から見つけたが、これの撮影は諦める。
次回、また来た時にでも撮影しよう・・・・・(笑)

(株)安宅商会跡 「(株)安宅商会」跡

右側の建物があったところに、戦時中は「(株)安宅商会」という日本の企業があった。
この建物が、当時の建物かどうかはわからない。
誰かに尋ねようかと思ったが、時間がなかったので断念・・・・・

酒保跡 「酒保」跡

「D2D]という看板のパン屋があるところは、戦時中、日本軍の酒保(軍人専用の売店)があった場所である。
昔は、日本軍の売店、今はパン屋さん・・・・(笑)

時刻は4時半・・・・
写真撮影もこれまで・・・・ということで、ホテルまで送ってもらう。
ミス・リズリーは半分呆れ顔・・・・(笑)
まぁ、そうでしょうねぇ〜(笑)
今日の彼女の「得体のしれない日本人のお守り」は、これで終了。(笑)

6時にジュンさんが迎えに来てくれて、夕食をご馳走してくれるというので、それまで部屋で待機する。


  


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