6.慰霊祭

(リパタ・フェリーターミナル)


平成21年(2009年)10月25日 (第3日目)

午前3時、予定通り、ミス・リズリーが迎えにきた。
私は結局、午前0時前にようやく寝られたという感じなので、睡眠時間は3時間弱・・・(笑)
ホテルのレストランはまだ閉まっているので、朝食抜きである。
そういえば・・・昨晩の「前夜祭」の時に、市の職員からパンと飲み物を渡された。
ロクに夕食を食べてなかったので、会場でそれを食べてしまったが・・・・
もしかして、あれは今日の朝食だったのか?(笑)
何も言わず、サッと渡して去って行ってしまったので、何のことやらわからず食べてしまった。
失敗したぁ〜

迎えの車に乗り、式典会場のフェリーターミナルへ向かう。

式典会場 式典会場

夜がまだ明けない午前4時・・・・真っ暗である。
式典が始まるまで、まだ時間があるが、すでに関係者が集まっていた。
アメリカ人なのか・・・白人の招待客もいたが、誰がどういう人なのかさっぱりわからない。
とにかく、握手を求められ、記念写真を請われて一緒に写真に収まるが・・・
で・・・あなたは誰?(笑)
テントの中にはベテラン(従軍経験者のフィリピン人)のお年寄りがズラリと座っていたので、一礼をしたが何の反応もない。
ニコリともしないで、こちらを見ているのには参った・・・・(笑)

記念写真 開会前の記念写真

う〜ん・・・誰が誰やら全然知らない。(笑)

自分が「来賓」となると、自由に写真が撮れないのが残念である。
式典が始まる前しか写真が撮れない・・・・
式典が始まったら大人しく来賓席に座っていないと・・・ね・・・・
ここで写真をパチパチ撮り始めたら・・・アホな日本人になってしまう。(笑)

ライトアップされた記念碑 ライトアップされた記念碑

事前に、式次第を渡されていたが、内容をみると、特にここでの私の出番はなさそうである。
と・・・・思ったのは大間違い・・・・
半分安心しかかって、ボーッ〜と座っていたら・・・・
「日本大使館代表・・・・ミスター・スズキ!」と名前が呼ばれた!
なぬ?今、確かに・・・日本大使館代表って言ったよな?(笑)
ギョェ〜!!!
何をすればいいんだ?
三宅さんもキョトンとしている。
あれれ・・・式次第には「日本大使館代表が何とか・・・」って書いてあったけど・・・
これ・・・俺のことかい?

ミス・リズリーの話では、スリガオ市では日本大使館にこの式典への参加要請を出したらしいが、忙しいということで断られたそうである。
で・・・代理が・・・俺?
そんな話、事前に聞いてないんだけど・・・・
ましてや、日本大使館から要請も承諾ももらっていないのに・・・・「日本大使館代表」はマズイだろう・・・
参ったなぁ〜これ・・・・

どうも私の役目は、花で飾られた小舟のロウソクに火をともして海に流すことらしい。
この小舟には、「日本の兵隊の魂へ」とか何とか書かれたプレートが付いていたようだが・・・・
こちらは突然のことなので、なんて書いてあるのか読む余裕はない。
前に出て行ってロウソクに火をともす。
この小舟は日本だけではなく、アメリカ、オーストラリア、各国大使館のもの、そのほか、沿岸警備隊、市長、州知事のものなどが用意されていて、各代表者が前に出て来てロウソクに火をともした。
昨日見たヤシの実を割って作った小さなものも誰かが火をともしたらしい。

この小舟を三宅さんと二人で持って海まで行くが、その間、バチバチとカメラのストロボの嵐である。
いつの間にか、大勢の一般市民が集まっていたのには驚いた。
最前列に座っていたので全然気がつかなかった。
ワイワイガヤガヤと大勢の人に取り囲まれながら海に向かい、無事に小舟を海に浮かべる。

灯籠流し? 灯籠流し?

これは灯籠流し?精霊流し?
いずれにせよ、日本と似たような風習があるということか?

私の出番は、この「精霊流し」だけのようである。
最後に、献花があったが、これは沿岸警備隊や一般の各種団体が献花を行った。

献花 献花

このあと、またもや記念写真・・・ということで、ストロボを浴びる・・・・
できれば、自分のカメラでも撮りたいところなんですけど・・・・
自分が被写体ではどうしようもない。(笑)

さて、スリガオ海峡海戦記念式典の第1部も終了。
ようやく日も昇り、周囲がうっすらと明るくなりかけてきた。
ミス・リズリーから急きたてられて、次の会場へ移動という、その時である・・・・
昨日お会いした、フェリー事務所の所長さんが「事務所に寄ってコーヒーを飲んでいかないか?」と声をかけてくださった。
いやぁ〜ありがたい!
朝、目が覚めてから何も飲んでいないし食べていないのである。
いやぁ〜コーヒーが飲みたい!(笑)

ミス・リズリーに、「お〜い!コーヒー飲みに行くから!」と言って、三宅さんを誘って事務所に行く。
と・・・そこには、アメリカ側代表のジンジャーさん一行も来ていた。
で・・・コーヒーを飲みながら、それぞれ勝手におしゃべりをしていたら・・・・
テレビ局が取材に来た。
「ぜひ取材をさせて欲しいと来ているんですけど・・・」と女子職員。
一緒に居合わせたジュンさんが「いいよ〜」と、いとも簡単に返事した!
「いやぁ〜私は英語が話せないから、それは三宅さんにお願いしますね!」と言ったら・・・
「ダメ!君がTVに出なさい!」と一言・・・・
トホホ・・・・勘弁してくれよぉ〜
絶対、無理だって・・・・私は英語が話せないもん!
あ〜なんというハプニングか・・・・(涙)

先ほどの記念碑のところに戻り、記念碑前でインタビューを受けることとなる。
で・・・最初が、アメリカ側へのインタビュー
相変わらずジンジャーさんはゲリラの話を延々とする。

インタビューを受けるジンジャーさん インタビューを受けるジンジャーさん

ジンジャーさんがインタビューを受けている間、スタッフの女の子が私の名前を聞きにきた。
「あのね・・・俺、英語話せないからね」
「大丈夫ですよ」
「いや、大丈夫じゃないって!“ミスター・ミヤケ“に通訳してもらうからね。で・・・質問の内容を事前に聞かせてくれる?」
「大丈夫ですよ」
「いや、事前に何を聞かれるのか知っておきたいんだけど・・・・」
「大丈夫です。あなた、ちゃんと英語を話してるじゃないですか。簡単ですから大丈夫ですよ」
「いや、本当に話せないんだってば!」
「あの・・・日本語って難しいんですよね?」
「ん?日本に興味あるの?」
「はい、行ってみたいんですけど・・・連れて行ってくれます?日本に・・・」
「へぇ?一緒に?俺と?この後?・・・・日本に行く?」
「冗談ですよ!(笑)」
「なんだよ〜」
「でも、メールアドレスを教えてくれますか?日本に行く時にメールしますから」
「またぁ〜冗談でしょ?(笑)」

などと・・・いちゃついていたら・・・自分の番が来てしまった!
しまった!
女の子とおしゃべりしていて、アメリカ側へ質問している様子を見るのを忘れた!(笑)
たぶん、私にも同じ質問をするのだろうし・・・・
アメリカ側の対応を確認しておくべきだった。
あ〜大失敗!
馬鹿だぁ〜!

で・・・インタビュー開始。
「こちらが、日本から来た“ミスター・スズキ”で、お隣が“ミスター・ミヤケ”です。“ミスター・ミヤケ”が通訳をしてくださるそうです。では、早速ですが、まずはフィリピンの皆さんへ何かメッセージをどうぞ!」
「へぇ?メッセージ?そんな・・・メッセージなんか何もねぇけど・・・」とつい、日本語で口走ってしまった!(笑)
三宅さんから「こういうことを言ったらどうでしょう」とアドバイスを受け、適当に日本語でペラペラと・・・・
その私の日本語に尾ひれをつけて、更に話を大きくして・・・・三宅さんが英語で話してくれた。
よし!なんとか切り抜けたぞ!(笑)

続いて・・・・「失礼な言い方ですけど、今まで日本人がこの式典に参加されなかったのは、日本が戦争に負けたことを恥じているから参加されなかったのでしょうか?」との質問をされた。
冗談じゃない!
なんという誤解であろうか・・・・
「日本ではスリガオで、こういう式典があることを誰も知らないからです。今回、私がそれを知ったので一人で参加しました」
う〜ん・・・うまくいったぞ!(笑)

「ところで・・・あなたは戦争に行かれたことがあるのですか?」との質問。
なぬ?(笑)
この時、三宅さんはこの質問を日本語に通訳せずに、そのまま「いや、この人は戦争に行っていないですよ」と直接英語で答えた。
で・・・・つい、「いや、私の祖父が軍人で・・・フィリピンで戦っていたんですよ」と私は英語で補足説明をしてしまったのである!(笑)
大失敗である!
しまった!・・・と思ったが後の祭りである。
「あれ?あなたは英語が話せるじゃないですか!」と、インタビュアーにバレてしまったのである。(笑)

で・・・最後の質問・・・・
「今回の式典に参加された感想と、今後、この式典に期待すること、そして、最後にフィリピンの方々にメッセージをお願いします。・・・・では、どうぞ!」
「はぁ?・・・・・また、メッセージ???参ったなぁ〜俺、フィリピンにメッセージを届けに来たんじゃないんだけどなぁ〜」
またもや三宅さんに助け船を出してもらって、日本語で答えたら・・・・
「ダメです!あなたは英語が話せるでしょ!自分の言葉で英語で話してください。・・・では・・・はい、どうぞ!」
ギョェ〜失敗したぁ〜!(笑)
文法も単語もボロボロ・・・メチャクチャ・・・・手の施しようもない・・・・(笑)
完全に舞い上がっちまった!(笑)
「穴があったら入りたい」とは、まさしくこのことである!(涙)

で・・・・インタビュー終了!
「いやぁ〜これ、カットしてよ〜!」と言ったら、カメラマンがニヤニヤ笑って首を横に振りやがった!
最悪の出来である。
あ〜日本の恥だぁ〜!
やっちゃった〜!
ドドッと自己嫌悪に陥る・・・・・・
「これ、放送するの?本当に?俺のインタビューの部分は放送しないでくれない?」
「そうはいきません。駄目で〜す!」とスタッフの女の子・・・・

あ〜あ〜リハーサルもなしで・・・・演出もなしで・・・・(笑)
どうして事前に打ち合わせを密にとらないかなぁ〜
参ったなぁ〜こりゃ・・・・・
格好が悪いなぁ〜(笑)
撮り直しってないの?
「あとで、放送日をお教えしますね」とスタッフの女の子に言われたが・・・・
「見たくな〜い!」と答えたら笑われた・・・・・

しかし・・・今まで、日本人が誰も参加していないことを、現地の人は戦争に負けて恥ずかしくて来れないのだろうと思っているのか?
いや、そう思われてもおかしくはない・・・・・
素朴な疑問とは、そういうものだろう。
大使館や領事館が、忙しいと言って断らずに、誰でもいいから代理を出せば、こういう誤解を受けなくてすむのだろうに・・・・
戦後64年も経っているのに、今もって負けたことを恥ずかしいと思って顔が出せないでいるのではないか・・・と思われているとは心外である。
日本の外交というものは、もっときめ細かくやらねばなるまい・・・・・
インタビュアーのこの質問は、一般市民の素朴な疑問を代弁していると思う。
いい勉強になった。


  


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