薄田泣菫 すすきだ・きゅうきん

明治10年(1877年)5月19日〜昭和20年(1945年)10月9日


岡山県出身。
本名は淳介。
中学を中退後独学し、上京後も苦学する。
キーツなどの英詩を愛読。
ソネットなど詩形の試みを収める『暮笛ぼてき集』(1899年刊)で世に認められた。
浪漫的文語定型詩の珠玉の詩篇を収める『白羊宮はくようきゅう』により、蒲原有明かんばら・ありあけと詩壇の双璧をなした。
大正2年(1913年)から「大阪毎日新聞」に勤務し、学芸部長などを務め、連載随筆『茶話ちゃばなし』で好評を博した。


詩碑



詩碑
(大阪市中央区上町西4−1−22・東平北公園)





(平成20年6月16日)

碑文

あゝわが丈たけよ五千尺、
あしは下なる野を踏みて、
かしらは高く雲に入る、―
そのかみ闇やみのとろゝぎの、
に別れたる初めより、
山と聳そびゆる大悦たいえつを、
自然よ、君に捧ぐると、
今歳ことしこの春若やぎて、
どよみわたりぬ金剛山こんごうせん

薄田泣菫『金剛山の歌』より

薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)
1877(明治10)年 岡山県に生まれ 若くして大阪に出た
高踏な象徴詩で明治後期を代表する詩人となる
この詩は 寄宿した上町の本長寺辺から見た金剛山の雄姿に感動して歌い上げた

大阪市

(説明板より)




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