崇源院 すうげんいん

天正元年(1573年)〜寛永3年9月15日(1626年11月3日)


浅井長政の三女。
母は織田信長の妹・小谷おだにの方。
名は「江」「お江与」とも。
天正元年(1573年)浅井氏滅亡後、織田信長に養われ、養父・柴田氏滅亡後は豊臣秀吉に養われる。
尾張国大野城主・佐治一成さじかずなりに嫁ぐが、離別。
のちに秀吉の養子・秀勝に嫁ぎ一女(九条幸家の室)を生む。
文禄元年(1592年)9月、秀勝が没し、3年後、秀忠に再々嫁。
千姫家光ら二男五女を生む。


崇源院墓所


崇源院(徳川秀忠夫人)墓所
(和歌山県伊都郡高野町・高野山奥の院)




(平成21年4月9日)

県指定史跡
指定 昭和34年1月8日

崇源夫人五輪石塔すうげんふじんごりんせきとう

奥の院墓石群の中で最も大きいことから「一番石」の名で広く知られている。(総高6.6m)
駿河大納言忠長が慈母崇源院の追善供養のために寛永4年(1627)に建立した供養塔である。
崇源院は徳川二代将軍秀忠の妻であり、浅井長政とお市の方の娘、淀君の妹にあたる。
寛永3年(1626)、54歳でこの世を去った。

財団法人高野山文化財保存会
菩提所 蓮花院

(説明板より)




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