駆逐艦 涼風 すずかぜ


白露型

白露型は昭和6年および昭和9年の補充計画において、6隻と4隻の合計10隻を建造された初春型に次ぐ特型駆逐艦。
兵装は主砲5門、魚雷発射管8門で、特型中、強化された艦型。
強度も復原性も改善。
速力34ノット。
同型艦:時雨・村雨・夕立・春雨・五月雨・海風・山風・江風・涼風の10隻。

涼風

南方作戦において、ボルネオ方面攻略作戦に参加。
昭和17年(1942年)9月11日〜10月19日、ガダルカナル輸送作戦に従事。(5回)
昭和17年(1942年)10月26日、南太平洋海戦に参加。
昭和17年(1942年)11月14日、第3次ソロモン海戦に参加。
昭和17年(1942年)11月30日、ルンガ沖夜戦に参加し、優勢な米重巡部隊に対し、友隊と共同して大打撃を与え敗退させた。
昭和18年(1943年)7月6日、クラ湾夜戦に参加し、谷風と共同して米軽巡ヘリーナを撃沈する。
昭和19年(1944年)1月25日、ポナペの北東において、米潜水艦スキップジャックの雷撃を受けて沈没する。

(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)


慰霊祭記念植樹碑




慰霊祭記念植樹碑

(長崎県佐世保市・旧海軍墓地)




(平成20年11月23日)

碑文

どんな気持ちで波間に消えた
愛しき吾子、夫、父、兄、弟の
御霊よ 安らかに

駆逐艦涼風戦没者慰霊祭記念樹
昭和61年 秋
遺族生存者一同

第24駆逐隊慰霊碑


第二十四駆逐隊 慰霊碑

江風・海風・山風・涼風
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地)





(平成20年11月23日)

第24駆逐隊戦没者慰霊顕彰碑文

第24駆逐隊(江風 海風 山風 涼風)は白露型駆逐艦として昭和12年建造され 水雷戦隊の新鋭駆逐隊として支那事変に活躍
大東亜戦争においては当初比島部隊の一隊として レガスピー タラカン バリックパパン ジャワ島攻略作戦に従事
赫々たる戦果をあげ 昭和17年6月に行われたミッドウェイ作戦には主力部隊として参加した
同年6月23日山風が輸送船団護衛の為分離行動中 房総半島沖において敵潜水艦と交戦中その雷撃により沈没
当隊にとって最初の犠牲となった
同年8月ガダルカナル島に敵来襲するや 南東方面部隊の増援部隊としてガダルカナル島争奪をめぐる死闘に従事
各艦20回におよぶ強行輸送 第二次 第三次ソロモン海戦 南太平洋海戦 ルンガ沖夜戦に活躍したが 優勢な敵兵力とレーダーを始めとする電波兵器には抗し難く我が軍はガダルカナル撤収の止むなきに至り 昭和18年2月他の駆逐艦20隻とともに3回に及ぶ撤収輸送により 1万数千人の将兵を救出した
続いて同年8月コロンバンガラ島増強輸送作戦中 クラ湾において敵艦隊と遭遇
雷撃により敵巡洋艦を撃沈したが 江風は同月6日敵艦隊と交戦中 ベララベラ島沖において沈没した
物量を誇る敵の攻勢が益々増強された19年 涼風は1月25日輸送船護衛中 ポナペ島沖において 海風はトラック島南方海面での作戦行動中の2月1日 いずれも敵潜水艦の雷撃により沈没
就役以来常に第一線において勇戦奮闘した第24駆逐隊はその一生を閉じたのである
この間浜中脩一山風艦長 柳瀬善雄江風艦長 山下正男涼風艦長外8百有余名の戦友が護国の鬼と化した
この碑は青春を国に捧げ 若くして戦いに殉じた勇敢な戦友の御霊を慰め併せて我が国の永遠の平和を祈願するため遺族並びに生き残りの戦友相い計り建立したものである

平成元年 秋
建立発起人代表 伊藤治義
第24駆逐隊 遺族生存者一同

第24駆逐隊戦没者慰霊碑

一等駆逐艦
白露型
江風(藤永田造船所)海風(舞鶴工廠)山風(浦賀造船所)涼風(浦賀造船所)ともに昭和12年にそれぞれ竣工した。

竣工後直ちに第1水雷戦隊第24駆逐隊を編成し支那事変に従軍。
大東亜戦争においては、比島部隊として、レガスピー、バリックパパン、ジャワ島方面の攻略作戦に従事。
昭和17年4月、平井司令統率のもと長崎から呉まで完成間近い戦艦武蔵を護衛後、6月5日のミッドウェー海戦では主力部隊の一隊として参加した。
その後、山風が油槽艦護衛のため分離行動中、6月23日房総半島沖において敵潜水艦と交戦中、雷撃により沈没。
浜中艦長以下280余名が戦死した。
昭和17年8月、ガダルカナル島方面に敵来襲するや、第2艦隊第2水雷戦隊の一隊として、ガダルカナル島争奪の死闘に参加。
「鼠輸送」と言われた緊急輸送にショートランドとガダルカナル島を往復すること各艦20回にも及ぶ。
第二次、第三次ソロモン海戦、南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦に参加。
更には第3戦隊(戦艦榛名戦艦金剛)のガダルカナル島砲撃作戦にも参加する。
昭和18年2月、3回に亘るガダルカナル島撤収作戦においては1万数千名の将兵を救出した。
その後は3艦揃っての行動は少なく、トラック島を基地として、ナウル、コロンバンガラに敵を求めて東奔西走。
その間、7月6日のクラ湾夜戦において雷撃によって敵重巡洋艦を轟沈。
昭和18年8月6日、江風がコロンバンガラ島へ強行輸送中、ベラ湾において敵艦隊と交戦中、雷撃によって沈没した。
残された海風、涼風は敵機動部隊来攻に備え、ブラウン海域において連合艦隊主力直衛の任務につく。
昭和19年1月25日、涼風はナウル輸送従事後、ポナペ島北方海面において敵潜水艦の雷撃により沈没。
海風も2月1日、トラック島北方海面において敵潜水艦の雷撃により沈没する。
かくして大東亜戦争開戦以来2年有余、常に最前線に在り、勇戦奮闘、水雷戦隊の本領をいかんなく発揮し、敵の心胆を寒からしめた栄光ある第24駆逐隊の各艦は、ここにその生涯を閉じた。
碑は平成元年秋に建立。
艦と運命を共にされた、4人の艦長以下800有余柱の英霊を祀る。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)

佐世保東山海軍墓地



佐世保東山海軍墓地

(長崎県佐世保市東山町182−1・東山公園)





(平成20年11月23日)

【白露型】

条約内の大きさで「吹雪」型と同等の戦力の発揮を目論んだ「初春」型が完成してみると、復元性などの基本性能に問題があることがわかったため、急遽設計を改めたのが本型である。
船体の大きさなどは基本的に同じものとされ、「初春」の改善工事による変更を最初から採り入れた形。
減少した魚雷の射線を少しでも確保するため、新たに4連装魚雷発射管が開発されて8射線となる。
この4連装魚雷発射管は、以後の駆逐艦、巡洋艦に搭載されて日本海軍の標準兵器となった。
「吹雪」型から「初春」型にかけて、主砲は対空射撃可能な仰角75度のものが採用されていたが、本型からは重量軽減の目的で最大仰角55度に抑えられ、対空射撃は考慮されなくなった。
機関は「初春」型と同じものが搭載されたため、速力は34ノットにとどまる。

【要目】
公試排水量:1980トン
機関出力:4万2000馬力
速力:34ノット
航続力:18ノットで4000海里
乗員数:226名
兵装:12.7cm連装砲×2
    12.7cm単装砲×1
    40mm単装機銃×2
    61cm4連装魚雷発射管×2

【同型艦】
白露(昭和11年8月20日竣工〜昭和19年6月15日戦没)
時雨(昭和11年9月7日竣工〜昭和20年1月24日戦没)
村雨(昭和12年1月7日竣工〜昭和18年3月5日戦没)
夕立(昭和12年1月7日竣工〜昭和17年11月13日戦没)
春雨(昭和12年8月26日竣工〜昭和19年6月8日戦没)
五月雨(昭和12年1月29日竣工〜昭和19年8月26日戦没)
海風(昭和12年5月31日竣工〜昭和19年2月1日戦没)
山風(昭和12年6月30日竣工〜昭和17年6月23日戦没)
江風(昭和12年4月30日竣工〜昭和18年8月6日戦没)
涼風(昭和12年8月31日竣工〜昭和19年1月25日戦没)

(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)




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