平成26年11月21日

東海林太郎 しょうじ・たろう

明治31年(11898年)12月11日~昭和47年(1972年)10月4日

秋田県秋田市・県民会館でお会いしました。







 東海林太郎像
 (県民会館脇)





(平成26年11月21日)

東海林太郎の事績

東海林太郎は明治31年(1898)12月11日秋田市千秋矢留町(旧台所町)に生まれた
秋田中学(旧制)から早稲田大学に進み卒業後 満鉄に入社した
しかし音楽への情熱を捨てきれず昭和8年時事新報社主催全国音楽コンクールで見事入賞
その後流行歌の世界に転じ「河原月夜」でデビュー
翌9年名調子「赤城の子守歌」「国境の町」の大ヒットによりまたたく間に全国に名を広めた
終生おごらず怠らず独特の直立不動の姿勢と 東海林節をもって名声を博し日本の歌謡界に偉大な一時期を画した
昭和47年(1972)10月4日73歳没

昭和38年 日本歌手協会初代会長
昭和40年 歌謡界初の紫綬褒章受章
昭和47年 正五位勲三等瑞宝章受章

昭和50年5月23日
東海林太郎顕彰会

(歌碑の銘板より)




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