天明5年6月29日(1785年8月3日)〜安政5年7月16日(1858年8月24日)
鷹見泉石生誕之地 茨城県古河市・古河第一小学校の脇に建っています。 (平成15年2月9日) |
鷹見泉石
十郎左衛門忠常じゅうろうざえもんただつねといい、泉石は引退後の名である。
天明5年(1785)6月29日、土井氏どいし代々の家臣、鷹見忠徳ただのりの長男として、当時、四軒町しけんちょうといったこの地に生まれた。
11歳より藩主土井利厚としあつ・利位としつらの二代に仕え、ついには江戸家老に進み敏腕をふるった。
とりわけ藩主利位の「大塩の乱」鎮定・京都所司代きょうとしょしだいから老中への昇進と幕政参画さんかくなど、その陰にはつねに泉石の補佐が与あずかって大きかった。
つとに蘭学らんがくを志し、利位の『雪華図説せっかずせつ』の刊行をたすけ、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭おらんだ国全図』を出版した。
かたわら、学者・文化人と広く交わり、オランダ商館長よりヤン・ヘンドリック・ダップルの蘭名らんめいを贈られた。
開明的外国通といえる。
渡辺崋山わたなべかざん筆ひつ、国宝『鷹見泉石像』は、よくその姿を伝えている。
安政5年(1858)7月16日、古河長谷はせの屋敷に73歳で没した。
市内横山町の正麟寺しょうりんじに眠る。
平成8年3月吉日 鷹見泉石普及活動事業実行委員会
(「誕生之地」碑の説明銘板より)
鷹見泉石記念館 (平成15年2月9日) |
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