平成18年3月11日
安政7年3月14日(1860年4月4日)〜昭和13年(1938年)12月3日
東京都新宿区西早稲田1丁目・早稲田大学構内でお会いしました。
明治15年(1882年)4月、立憲改進党結成に参加。
同年、東京専門学校の創設と同時に講師となる。
また、「読売新聞」主筆として文芸批評を行なう。
明治40年(1907年)早稲田大学学長。
大正12年(1923年)からは総長を歴任した。
第1回総選挙に全国最年少で当選以来、衆議院議員に当選6回。
政治的にも第一次大隈内閣で外務省通産局長、第二次では文部大臣を務め、大隈重信の側近として活躍した。
総長高田先生像 (早稲田大学) (平成18年3月11日) |
早稲田四尊 |
高田早苗
天野為之
坪内逍遥
市島謙吉
早稲田騒動 |
早稲田騒動とは、早稲田大学の次期学長の座をめぐって初代学長の高田早苗と二代目学長の天野為之が激しく争い、それぞれを支持する学生たちを巻き込んで世間を騒がせた事件である。
早稲田騒動に参加した尾崎士郎はこの事件を舞台にして出世作の『人生劇場』を書いた。
(参考:佐野眞一著『甘粕正彦 乱心の曠野』・新潮社・2008年発行)
(平成21年1月19日追記)
高田早苗の墓 (東京都豊島区・染井霊園) (平成22年2月9日) |
高田家の墓所 (東京都豊島区・染井霊園) 左:高田早苗の墓 右:夫人・不二子の墓 (平成22年2月9日) |
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