平成19年4月14日
文亀2年(1502年)〜弘治元年閏10月29日(1555年12月12日)
大阪府堺市・市博物館前でお会いしました。
名は仲材なかき。通称は新五郎。
武野氏は若狭国の守護武田氏の後裔で、父・信久は諸国を流浪したのち堺に住み、姓を武野として、武具作製の皮革業を営んで財を成したという。
紹鴎は、歌道・連歌に堪能で、24歳で三条西実隆に和歌を学び、村田珠光じゅこう門下の藤田宗理や十四屋じゅうしや宗伍などに茶の湯を学んだという。
実隆の『詠歌大概』(藤原定家)の序の講義をきいて茶道の極意を悟ったという。
彼は和歌の心を茶の心に生かし、唐様趣味を和様に転化するなどの工夫を行った。
晩年京都四条に草庵大黒庵を設け茶事に専念した。
二畳・三畳の小間の茶室、竹の茶入や茶杓などを創案し、それまでの茶の湯の姿を大きく変化させた。
弟子に嗣子の宗瓦そうが、娘婿の今井宗久をはじめ、津田宗及そうぎゅう・千利休・松永久秀など多数。
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武野紹鴎像 (大阪府堺市・市博物館前) (平成19年4月14日) |
武野紹鴎
文亀2年〜弘治元年(1502〜1555)
大和出身の茶人・豪商 のちに堺に移り住んだ。
上洛して三条西実隆に和歌を十四屋宗陳・宗伍らに茶の湯を学ぶ
堺に帰ってからは北向道陳らと交友し 南宗寺の大林宗套に参禅して一閑居士の号を許された。
茶道においては わび茶を好み 利休を初めとする多くの門人に大きな影響を与えた。
(碑文より)
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堺市博物館 (大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内) (平成19年4月14日) |
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武野紹鴎屋敷跡 (大阪府堺市堺区中之町東2丁) (平成19年4月14日) |
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武野紹鴎屋敷跡 (大阪府堺市堺区中之町東2丁) (平成19年4月14日) |
武野紹鴎屋敷跡
武野紹鴎は文亀2年(1502)大和(奈良)で生まれ、のち堺に移った。
皮屋の号を持つ豪商の一人。
若い頃、京で三条西実隆さねたかに和歌を、村田珠光じゅこう一門に茶の湯を学び、堺に帰って津田宗及そうきゅう、今井宗久、千利休らに珠光のわび茶を伝え、特に宗久を娘婿にして財産・茶器を譲った。
茶人北向道陳らと交友し、南宗寺の開祖大林宗套だいりんそうとうに禅を学んだ。
南宗寺には紹鴎の供養塔があり、この供養塔に耳をあてるとシュンシュンとお茶の湯を沸かす音がするという。
堺市
(説明板より)
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