(沢庵和尚)
天正元年12月1日(1573年12月24日)〜正保2年12月11日(1646年1月27日)
字は沢庵。
但馬国の秋庭氏の出身。
天正14年(1586年)但馬宗境すきよう寺内にある勝福寺の希先秀先にについて得度。
京都大徳寺の春屋宗園しゅんおく・そうえんに師事して宗彭と諱を改める。
諸僧に学び、慶長14年(1609年)大徳寺の住持となる。
宗境寺のほか諸寺の復興に努める。
寛永6年(1629年)、紫衣しえ事件の中心人物の一人として出羽上山かみのやまに配流される。
3年後、許され江戸に戻る。
徳川頼房、柳生宗矩むねのりらの帰依を受け、江戸品川東海寺ほかの開山となる。
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沢庵の墓 (東京都品川区北品川4−11−8・東海寺大山墓地) (平成20年5月18日) |
沢庵墓
種別 史跡
指定年月日 大正15年10月20日
指定面積 127.5平方メートル(48坪50)
所在地 品川区北品川3丁目289番地 東海寺
沿革
江戸時代初期の禅僧で名は宗彭、沢庵は号
但馬国(兵庫県)に生まれ幼少のころ出家して禅を学び各地を修行して信望を集め慶長14年(1609年)大徳寺の住持となった
寛永6年(1629年)幕府の忌諱に触れることがあって出羽国上山(山形県)に追放された
4年後許されその後は第3将軍徳川家光に重用され寛永16年(1639年)江戸品川東海禅寺の開山に迎えられ晩年を送った
正保2年(1645年)12月没73才
書画、俳句にもすぐれ茶道に造詣が深かった
その創業と言われる大根の香づけは沢庵の名で伝えられている
昭和40年3月■日
東京都
(説明板より)
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