明治12年(1879年)6月26日〜大正15年(1926年)7月13日
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田辺淳吉 (埼玉県深谷市・誠之堂の展示パネルより) (平成18年10月19日) |
明治12年 | 1879年 | 0歳 | 6月26日、東京本郷西方町に、元福山藩士宮内省役人の末子として生まれる |
明治36年 | 1903年 | 24歳 | 7月、東京帝国大学工科大学建築科卒業 10月、清水組入社 |
明治38年 | 1905年 | 26歳 | 【竣工作品】 大阪瓦斯会社 |
明治39年 | 1906年 | 27歳 | 【竣工作品】 第一銀行京都支店 日本女子大学校豊明図書館兼講堂(現・日本女子大学成瀬記念講堂) |
明治42年 | 1909年 | 30歳 | 8月、渋沢栄一を団長とする米国視察団に参加 11月、一行の帰国を見送った後、単身欧州に渡る。 【竣工作品】 第一銀行下関支店、丸善株式会社、東海銀行本店、渋沢倉庫 |
明治43年 | 1910年 | 31歳 | 欧州から帰国 |
大正元年 | 1912年 | 33歳 | 【竣工作品】 第一銀行釜山支店 |
大正 2年 | 1913年 | 34歳 | 清水組技師長となる。 【竣工作品】 紅葉屋銀行、東洋生命保険京城支店 |
大正 3年 | 1914年 | 35歳 | 【竣工作品】 高岡共立銀行本店(現・富山銀行本店) |
大正 5年 | 1916年 | 37歳 | 【竣工作品】 誠之堂 |
大正 6年 | 1917年 | 38歳 | 【竣工作品】 晩香盧 |
大正 8年 | 1919年 | 40歳 | 【竣工作品】 第一銀行京都支店の増築、川喜田別邸洋館広間 |
大正 9年 | 1920年 | 41歳 | 4月、清水組退社 【竣工作品】 池田侯爵邸内部 |
大正10年 | 1921年 | 42歳 | 2月、中村達太郎と中村・田辺建築事務所を開設 【竣工作品】 科研化学K.K2号館、東京会館、日本倶楽部、田辺別邸 |
大正11年 | 1922年 | 43歳 | 大正14年にかけて、日本女子大学校家政学部において教鞭をとる。 |
大正13年 | 1924年 | 45歳 | 【竣工作品】 旧増田邸、石井健吾別邸、丸善株式会社、松屋呉服店 第一銀行小樽支店(現・協同組合 神装) |
大正14年 | 1925年 | 46歳 | 【竣工作品】 青淵文庫 |
大正15年 | 1926年 | 47歳 | 7月13日逝去 |
(参考:『誠之堂』の展示パネル)
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誠之堂 (埼玉県深谷市大字起会110−1) 大寄公民館敷地内にあります。 (平成18年10月19日) |
国重要文化財
誠之堂(せいしどう)
この建物は大正5年(1916)に第一銀行の創設者、渋沢栄一の喜寿きじゅ(77才)を記念して、現在の東京都世田谷区瀬田に在った銀行の保養施設「清和園せいわえん」内に建てられました。
設計は後に大正時代建築の名手と称される田辺淳吉たなべじゅんきち、施行は清水組しみずぐみ(現在の清水建設株式会社)が行いました。
建築面積は113.30u、棟むねまでの高さは4.230mを測ります。
構造は補強煉瓦造、外観は焼きの異なる3色の煉瓦が組合わせて積まれ、煙突の真下には煉瓦で描かれた「喜寿」の文字を見ることを出来ます。
屋根には天然スレートが葺かれています。
建物の雰囲気は栄一の希望を元にイギリス風農家をイメージしています。
室内には暖炉上の栄一のレリーフや古代中国の画法による祝宴の様子を描いたステンドグラスがあり、さらに中国、朝鮮、日本のデザインが取入れられています。
平成9年(1997)、取壊しの決定に伴って深谷市が譲り受け、平成11年(1999)当地に移築、平成15年(2003)5月30日、国の重要文化財の指定を受けました。
(説明板より)
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