平成24年4月17日

田中穂積 たなか・ほづみ

安政2年11月14日(1855年12月22日)~明治37年(1904年)12月31日

山口県岩国市・吉香公園でお会いしました。






田中穂積先生胸像
(山口県岩国市・吉香公園)




(平成24年4月17日)

田中穂積先生略伝

田中穂積先生は安政2年11月4日岩国市横山3丁目(千石原)に誕生。
父は田中判右ヱ門、母は黒杭氏である。
先生は幼少より音楽に天賦の才を有し、慶応3年日新隊鼓手となり、更に明治6年海軍軍楽隊に入り五等鼓手を振出しに終生軍楽隊に籍をおいて、その発展に貢献するところ大であった。
明治28年大本営附として広島に赴き明治天皇の側近に奉仕し、同32年累進して海軍軍楽長となり同年の夏、清国揚子江方面に出動、37年心臓の宿痾を冒し軍楽隊を率いて戦没者の葬儀に参列、これが為、肺炎を併発して明治37年12月31日あたら不世出の才幹を抱きながら享年50歳で佐世保海軍病院にて永眠した。
先生は自ら持すること謹厳、人に接すること謙譲、その卓越した識見と高潔な人格は、又世人の讃仰已まないところであった。
先生の作曲には、不朽の名曲「美しき天然」を始め「黄海海戦記念行進曲」「如何に狂風」「南洋航路行進曲」等世に喧伝せられるものが多い。
あの世界的に高名を馳せている軍艦マーチも、その原曲は先生の手になるものと言われている。
先生が逝去されて50周年を迎えた昭和29年に田中穂積顕彰会が設立され、先生の遺芳を後世に伝えるため徳風を追慕してここに胸像がたてられたものでその後更に昭和51年3月岩国錦ライオンズクラブの寄贈により看板及び胸像■■■された

昭和31年3月
岩国教育委員会
田中穂積顕彰会
岩国錦ライオンズクラブ

(説明板より)

※ 説明板では誕生日は11月14日ではなく11月4日となっている。







海軍軍楽長正七位勲五等田中穂積之墓
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地






(平成20年11月23日)



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