駆逐艦 橘 たちばな


駆逐艦橘鎮魂の碑




帝国海軍駆逐艦 橘 鎮魂之碑

(函館市・函館護国神社





(平成22年5月24日)

昭和20年7月14日午前5時、米海軍機動部隊より約100機の敵艦載機が函館港停泊中の青函連絡船及び船舶を目標に来襲した。
これら船舶の護衛の任務にあった駆逐艦「橘 1260トン」は単艦よく敵艦載機の襲撃を一手に引き受け、湾内湾外に勇戦奮闘し、在泊船舶の損害を最小限に食い止め其の任務を遂行した。
敵機6機撃墜、1機撃破して午前6時53分葛登支灯台の90度2分3000mに沈んだ。
乗組員280名中、戦死者140名、戦傷者31名

平成3年7月14日 建立
祭主
元橘乗組生存者一同
代表 三留直高
    池田彦四郎
    藤本 進

(碑文より)


【松型】

ガダルカナル島攻防戦とは日本海軍にとっては陸軍への補給をいかに成功させるかという戦いでもあった。
そこで、輸送物件を駆逐艦に搭載して運ぶ方法が採られたが、その結果、日本の駆逐艦の被害はうなぎ上りとなり、ソロモンは「駆逐艦の墓場」とまで言われるようになった。
このような背景から、多少性能的には低くても急造出来、補給作戦や護衛作戦に適した簡易駆逐艦の量産が求められた。
改マル5計画で建造を予定していた「夕雲」型8隻、「秋月」型23隻の建造を取りやめ、この急造駆逐艦を昭和20年末までに42隻完成させるという建造計画の変更をおこなった。
この簡易駆逐艦が「駆逐艦丁」と呼ばれた「松型」である。
昭和18年2月に決まった計画案では、基準排水量1250トン、主機に水雷艇「鴻」型のタービン2基、速力28ノット、航続距離は18ノットで3500海里、兵装は12.7センチ連装高角砲1基、同単装1基、25ミリ3連装機銃4基、53.3センチ6連装発射管1基、爆雷投射機1基、爆雷36個などである。
実艦はほぼこの通りに完成したが、魚雷発射管は53.3センチでは威力不足のため、スタンダードな61センチ4連装発射管となった。
魚雷は九三式酸素魚雷である。
主砲の搭載はあきらめ、高角砲を搭載したが旧式の八九式で、しかも射撃指揮装置は簡易式。
機関は従来の駆逐艦の三分の一強の出力しかないが、日本の駆逐艦では初めて2組の機関を前から缶、機械、缶、機械という順番のシフト配置をしている。
これは多少被害を受けてもどちらかの機関が生き残る可能性があり、生存性を向上させることになった。
本型の一番艦「松」は、昭和18年8月8日に起工され、およそ9ヶ月の工期であったが、これは第一艦のために手間取ったためで、その後は約6ヵ月間で完成するようになった。
「松」竣工直前の昭和19年3月、本型の工事簡易化を更に徹底させ、工期3ヶ月に縮めることを目標とした改型が計画され、「橘」型とも呼ばれている。
ここに至って全面的に電気溶接が使われ、ブロック工法と船体の直線化などが取り入れられた。
これらの艦は昭和20年以降に竣工している。
本型は、昭和17年の戦時建造計画により42隻、更に18年以降の戦時計画により20隻、合計62隻を建造せんとしたが、諸事情で約半数の32隻が終戦までに完成した。
本型は昭和19年10月までには10隻以上が竣工しており、対潜機動部隊の第31戦隊が編成されるまでになっていた。
比島沖海戦では、艦隊型駆逐艦の多くが主隊である戦艦・巡洋艦部隊にまわされ、囮の空母部隊の護衛が足りなくなったため、第31戦隊から「桑」「槇」「杉」「桐」と防空巡洋艦となった旗艦の「五十鈴」が参加。
沖縄作戦以降、第31戦隊は行動可能な駆逐艦20隻近くを擁する唯一の戦力発揮可能な部隊であり、その半数以上が本型で占められていた。
速力が低い以外は、成績は極めてよく、相当の被害を受けても沈没するものは稀であった。

【要目】
公試排水量:1530トン
機関出力:1万9000馬力
速力:27.8ノット
航続力:18ノットで3500海里
乗員数:211名
兵装:12.7cm連装高角砲×1
    12.7cm単装高角砲×1
    25mm3連装機銃×4
    25mm単装機銃×8
    61cm4連装魚雷発射管×1

【同型艦】
松 昭和19年4月28日竣工〜昭和19年8月4日戦没
竹 昭和19年6月16日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
梅 昭和19年6月28日竣工〜昭和20年1月31日戦没
桃 昭和19年6月10日竣工〜昭和19年12月15日戦没
桑 昭和19年7月25日竣工〜昭和19年12月3日戦没
桐 昭和19年8月14日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
杉 昭和19年8月25日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し
槇 昭和19年8月10日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
樅 昭和19年9月3日竣工〜昭和20年1月5日戦没
樫 昭和19年9月30日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
かや 昭和19年9月30日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
なら 昭和19年11月26日竣工〜終戦時残存・解体
櫻 昭和19年11月25日竣工〜昭和20年7月11日戦没
柳 昭和20年1月18日竣工〜終戦時残存・解体
椿 昭和19年11月30日竣工〜終戦時残存・解体
ひのき 昭和19年9月30日竣工〜昭和20年1月5日戦没
かえで 昭和19年10月30日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し
けやき 昭和19年12月15日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
柿 昭和20年3月5日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
樺 昭和20年5月29日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
橘 昭和20年1月20日竣工〜昭和20年7月14日戦没
つた 昭和20年2月8日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し
萩 昭和20年3月1日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
すみれ 昭和20年3月26日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
くすのき 昭和20年4月28日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し
初桜 昭和20年5月28日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
にれ 昭和20年1月31日竣工〜終戦時残存・解体
梨 昭和20年3月15日竣工〜昭和20年7月28日戦没
しい 昭和20年3月13日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し
えのき 昭和20年3月13日竣工〜終戦時残存・解体
雄竹おだけ 昭和20年5月15日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し
初梅 昭和20年6月18日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し

(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)
(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)




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