竜子山城
たつこやまじょう
(別称:松岡城・手綱城)
高萩市大字下手綱字館の内
階段的連郭式の戦国時代の山城。茨城県北最大級といわれている。
築城の時代や人物は諸説があり不明確である。
戦国時代の応永27年(1410年)頃から大塚信濃守が城主になり、その子孫が170年に渡り治めていた。
慶長7年(1602年)、佐竹氏や岩城氏が去った後に、出羽角館から戸沢右京亮安盛(後に政盛と改名)が移ってくる。
松岡3万3千石の領地は北は勿来の関から南は日立市成沢までの範囲であった。
戸沢政盛は今の松岡小学校の敷地に平城を築き、山城と合わせて「松岡城」と改称した。
その後、中山備前信正がここに陣屋を置いて明治を迎える。
明治4年(1871年)、廃城となる。
竜子山城跡
竜子山城跡。
整備が進んでいるので、この景色は変わっているかもしれません。
松岡城跡
松岡小学校
松岡小学校
敷地内にはお城に関する石碑などはありません。
松岡小学校の近くに中山氏の館跡があります。
「中山候邸跡」の碑
茨城 高萩の歴史散歩〜平成の松岡地誌〜
高萩郷土史研究会 平成10年発行 1000円
茨城の古城〜県央・県北の古城興亡史〜
関谷亀寿 著 筑波書林 平成2年発行 1600円
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