床次竹二郎像 平成19年3月28日

床次竹二郎 とこなみ・たけじろう

慶応2年12月1日(1867年1月6日)〜昭和10年(1935年)9月8日

鹿児島県鹿児島市・鹿児島中央駅前でお会いしました。


鹿児島藩士の子。
東大卒。県知事・内務次官・鉄道院総裁などを歴任。
立憲政友会に入党し、大正2年(1913年)以来、衆議院議員連続当選8回。
原敬内閣・高橋是清内閣の両内閣の内相を務め、郡制廃止・選挙法改正・社会政策を推進。
大正13年(1924年)清浦内閣の支援を主張して高橋総裁と対立。
脱党して政友本党を結成して総裁に就任。
昭和2年(1927年)憲政会との合同で立憲民政党が成立すると顧問になったが、対中不干渉政策に反対して政友会に復帰。
犬養毅内閣の鉄道相。
犬養の死後、総裁争いで鈴木喜三郎に敗れ、晩年は入閣問題で政友会を除名された。


床次竹二郎の像



床次竹二郎之像
(鹿児島市・鹿児島中央駅前)





(平成19年3月28日)

碑文

床次竹二郎は慶応2年鹿児島市新照院町に生る。
大正2年鉄道院総裁に任ぜられ同3年鹿児島県一区より衆議院議員に当選それより20年勤続する。
その間内務大臣2回鉄道院総裁2回鉄道大臣逓信大臣を歴任し国運の伸展に郷土の振興に著しい功績を挙げた偉大な政治家である。
ここにその遺徳を顕彰するため彫刻家朝倉文夫氏製作によるこの胸像を建立する。

昭和53年10月11日
床次竹二郎顕彰碑建立推進会


【床次竹二郎と北一輝】

大正9年1月に上海から帰国した北一輝は、『日本改造法案』を謄写版刷で頒布して出版法違反に問われ罰金30円の処分を受けている。
だが、時の内務大臣・床次竹二郎が人を通じて300円を北に持たせてやったという。
北ヤ吉が書いたものでは、「改造法案を見た江木千之が貴族院で危険思想だと噪さわいだので、床次内相が之は出版法で問うことになっていると答え、罰金30円を取られたが、床次が300円を某君―後に大臣になった―に持たせて寄越したから、差引270円儲かったことになる」といって北は大笑いした、とある(北ヤ吉「兄北一輝を語る」雑誌「祖国」)。
床次が300円を北に与えた理由ははっきりしない。
床次と北とは一面識もない間柄である。
思うに床次は貴族院で江木あたりが「改造法案」を問題にしたので、面倒と思って出版法違反で30円の罰金にする一方、北にごねられてもうるさいので300円で口封じしたのであろう。
もちろん床次の肚は、北を国家社会主義者とはみていても危険な社会主義者とは見ていなかったのである。
床次は政友会の領袖だが、温和な性格の人物だった。

(参考:松本清張 著 『北一輝論』 講談社 昭和51年2月第1刷発行)

(平成29年10月22日 追記)


【政友本党】

「ろうそく内閣」の異名をとった加藤友三郎内閣はろうそくの火のごとく燃え尽きた。
加藤は海相としてワシントン条約の成立に尽くしたことで首相になったが、もともと頑健でなく、持病が悪化して、在職のまま死去した。
後任首相には関東大震災のさなか、再度山本権兵衛が任命されたが、摂政裕仁親王の車に難波大介という無政府主義の青年が発砲するという、いわゆる虎の門事件が起き、総辞職した。
後継首班に枢密院議長・清浦奎吾が推され、貴族院研究会を土台とした内閣を組織したことから、特権内閣と非難され、ここから護憲運動が起こった。
清浦内閣への態度をめぐって政友会は分裂し、床次竹二郎一派は脱党して、議員149名を以て政友本党を組織し、清浦内閣の与党となった。

(参考:渡邊行男 著 『中野正剛 自決の謎』 葦書房 1996年初版)

(平成29年1月31日 追記)


【政友会の内紛】

昭和9年(1934年)2月8日の衆議院本会議で、政友会の岡本一己が帝人株処分に際し、自党・政友会幹部の背後に醜怪な綱紀問題があるかのような発言を行った。
内部告発された政友会は大揺れに揺れた。
岡本は2月15日、さらに同本会議で、鳩山一郎文相が樺太工業から贈賄を受け取っているとの暴露演説を行った。
岡本は自分を取り立ててくれない鳩山文相に反感を抱いていたといわれる。
これらの度重なる爆弾演説によって、政友会は完全に浮足立った。
総裁系と床次竹二郎系の対立が悪化し、内紛へと拡大した。

床次は第一次西園寺内閣時代、徳島県知事から秋田県知事に転任する途中、原敬内相によって地方局長に抜擢されたことで知られる。
その後、政友会から脱党して山本達雄らと政友本党を旗揚げし、昭和2年には憲政党と合同して立憲民政党を結成した。
翌年には新党倶楽部を創立して総裁となるが、昭和4年には政友会に復帰していた。
政党から政党へと渡り歩いた床次の性格を見透かすように、民政党は政友会の亀裂を決定的にしようとばかり、岡本代議士査問委員会を提議するが、査問を進める段階で、自党・民政党の故・浜口総裁の金銭収受問題が飛び出してきたことから、うやむやになってしまった。

(参考:松田十刻 著 『斎藤實伝 「ニ・二六事件」で暗殺された提督の真実』 元就出版社 2008年第1刷)

(平成29年2月8日 追記)


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