友永丈市 ともなが・じょういち

明治44年(1911年)1月9日~昭和17年(1942年)6月5日






「海軍中佐 勲四等功三級 友永丈一君誕生地」碑
(大分県別府市野口中町)




(平成23年2月12日)

碑文

大東亜戦ニ出陣シ昭和十七年六月五日ミッドウエー航空戦ニ於イテ戦死ス
特旨ヲ以テ正五位ニ叙セラレ殊勲甲トシテ二階級昇進ノ恩■ニ浴ス

昭和十九年三月吉日
東野口町内會建立

(※ 「誕生地碑」には友永丈一と刻まれていますが、正しくは友永丈市です)





友永丈市生家跡
(大分県別府市野口中町)




(平成23年2月12日)

【ミッドウェイ海戦】

ミッドウェー飛行場攻撃が終わって、空母「飛龍」に帰還した指揮官・友永大尉は、新たに発見された敵空母の攻撃に向かうことになった。
すぐに使える兵力は、雷撃機10機と戦闘機6機である。
直ちに敵を叩かなければ、敵機が我が空母に殺到する。
友永大尉の指揮官機は、さきのミッドウェー島攻撃で、左燃料タンクに被弾し、応急修理はまだできていない。
したがって、敵空母を攻撃する片道の燃料しか積めなかった。
友永大尉は、それを承知の上で、指揮官機に飛び乗って出撃した。

(参考:田中賢一著 『帰らぬ空挺部隊』 昭和51年10月 原書房 発行)

(平成30年12月18日追記)


ミッドウェイ




ミッドウェイ島






(平成22年6月2日)




日米合同慰霊祭
(ミッドウェイ島)




(平成22年6月2日)



「滄海よ眠れ」の碑

(ミッドウェイ島)

ミッドウェイ海戦記念碑
平成10年6月4日建立


(平成22年6月2日)



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