特攻兵


特攻像 平成19年3月28日

特攻像「とこしえに」



特攻像「とこしえに」

(鹿児島県川辺郡知覧町・特攻平和観音)





(平成19年3月28日)

特攻像「とこしえに」の由来

特攻機は、遂に帰って来ませんでした。
国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。
特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。

み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝ
りりしい姿を永遠に伝えたい心をこめて
あゝ
開聞の南に消えた勇士よ

製作 日展審査員 伊藤五百亀先生
除幕 昭和49年5月3日
建設 知覧特攻慰霊顕彰会

(碑文より)


 (平成21年7月14日)





特攻勇士之像
(東京都千代田区九段・靖国神社遊就館)





(平成21年7月14日)

特攻勇士を讃える

戦局がいよいよ悪化した大東亜戦争の末期、
陸軍航空西尾少佐以下1344名、
義烈空挺隊奥山少佐以下88名、
戦車隊丹羽准尉以下9名、
海上挺進戦隊岡部少佐以下266名、
海軍航空関大尉以下2514名、
特殊潜航艇岩佐大尉以下436名、
回天上別府大尉以下104名、
震洋石川大尉以下1082名、
計5843名の陸海軍人は敢然として敵艦船等に突入散華され今日の平和と繁栄の我が日本の礎となられた。
その至純崇高な殉国の精神は、国民ひとしく敬仰追悼し、永久に語り継ぐべきものである。

平成17年6月28日

財団法人
特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会

(碑文より)




正七位勲五等雙光旭日章
神鷲特別攻撃隊 陸軍大尉 横山善次 像
(茨城県ひたちなか市・華蔵寺)



(平成23年5月31日)



横山家墓所
(茨城県ひたちなか市・華蔵寺)




(平成23年5月31日)

【側碑・碑文】

尽忠至孝の士
     陸軍大尉 横山善次 君

君は大正12年6月水戸市七軒町に生る。
青年期は明治学院に学ぶ学徒たりしが、太平洋戦争の戦局が苛烈となる昭和18年12月「学徒出陣」の命下るや、勇躍ペンを捨て救国の悲願に燃え、航空決戦に参加す可く特別操縦見習士官を志願、敢然操縦桿を握り碧空に雄飛す。
然れども戦勢日々に非にして本土決戦の様相目前に迫る20年8月、米艦隊は関東地方の沖合を遊弋し、水戸、日立も又戦火に晒されんとす。
こよなく国を愛し郷土を愛する君は、特別攻撃隊、神鷲第201隊々員として8月13日薄暮、愛機「屠龍」を駆り鹿島灘東方洋上の敵に必殺の体当たり攻撃を敢行、巡洋艦撃沈の大戦果を挙ぐ。
為に敵は水戸攻撃を断念、東方に避退せる由、是戦史の記する所なり。
一身を抛ち郷土を護りたる君の偉業は永くこの地の人の心に留められん。
干戈収まりて星霜五十年。
茲にその偉業に対し奉賛、顕彰の誠を捧ぐるものなり。
英魂永しえに、此の国を護り給わらんことを。

平成7年8月13日
特操2期八日市会 撰文
横山充孝 建之


第201神鷲隊

階級 氏名 出身県 出身別 生年 戦死場所 戦死日
中尉 小川 満 香川 陸士57期 ※1 大正13年 犬吠埼東方洋上 昭和20年8月13日
少尉 横山善次 栃木 ※2 特操2期 大正12年 犬吠埼東方洋上 昭和20年8月13日
伍長 藤田重喜 北海道 特幹1期 大正14年 犬吠埼東方洋上 昭和20年8月13日

※1=「陸士」は「陸軍航空士官学校」かもしれない。
※2= 「栃木」は誤記と思われる。正確は「茨城」
陸士=士官候補生、特操=特別操縦見習士官、特幹=特別幹部候補生

(参考:(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編 『特別攻撃隊全史』 平成20年初版)

(平成29年4月8日 追記)




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