豊姫 とよひめ

万治2年12月10日(1660年1月22日)〜享保18年7月5日(1733年8月14日)


豊姫の霊屋



豊姫の霊屋
(長野県長野市松代町・恵明禅寺)





(平成20年10月27日)

第3代松代藩主
真田幸道公の奥方
豊姫の霊屋

豊姫は伊予宇和島藩主伊達宗利公(仙台藩祖伊達政宗公の孫)の息女で、万治2年12月10日(1659年)江戸邸で生まれる。
延宝元年7月26日(1673年)15歳にして、幸道公(17歳)に嫁ぐ。
豊姫が実家から「鉢植の杏あんず」を取りよせ愛賞されていたことがあって、これが杏の樹が松代に来た始めであると言われている。
以来、杏が薬用樹として松代藩の殖産興業の一つとして藩内に広く採植されるに至った。
享保18年7月5日(1733年)75歳にて卒。
法名 法雲院
       殿慈栄元光尼禅師

(説明板より)

恵明寺



恵明寺
(長野県長野市松代町西条482)





(平成20年10月27日)

縁起

寺号 黄檗おうばく宗 象山 恵明えみょう禅寺
本尊 釈迦如来
大本山 黄檗山 萬福寺(京都府宇治市)
黄檗開祖 隠元禅師(中国僧1592〜1673)

恵明禅寺は第3代松代藩主真田伊豆守幸道公の開基で、延宝5年6月(1677)の造営であり開祖は黄檗二祖木庵禅師(中国僧1611〜1684)である。
文政8年5月(1825)本堂から出火、おりからの烈風にあおられ本堂、開山堂、霊屋、庫裡、鐘楼そして木庵禅師伝来の佛像、什物等ことごとく灰燼に帰してしまい、僅かに地蔵堂、不二庵、山門を残したのみであるが、また暫くして不二庵から出火、地蔵堂とともに焼失してしまい、当時から残るは山門のみである。
このようにして再度の災禍によるも、天保4年10月(1833)第8代松代藩主真田伊豆守幸貫公により本堂、霊屋、鐘楼、庫裡が再建される。
堂内には釈迦三尊をはじめとして、中国佛師による木庵禅師像、幸貫公自作の布袋和尚像、それに享保8年3月(1723)第4代松代藩主真田伊豆守信弘公により真田屋敷より遷座された稲荷大明神(■枳尼天)等が祀られている。
また、境内には第3代松代藩主真田伊豆守幸道公の奥方「豊姫」、松代雅楽の祖宮島春松先生、松代文化財愛護功労者長岡助治郎先生、天文学者西澤茂台先生等の墓がある。

寺号の由来
開祖木庵禅師が中国で最後に住持をされていた寺が泉州の象山慧明寺であり、これに因み象山ぞうざん恵明禅寺えみょうぜんじと号す。

(説明板より)



 トップページに戻る   人物と史跡のリストに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送