坪内逍遥像 平成18年3月11日

坪内逍遥 つぼうち・しょうよう

安政6年5月22日(1859年6月22日)〜昭和10年(1935年)2月28日

東京都新宿区西早稲田1丁目・早稲田大学構内でお会いしました。


本名は勇蔵。のち、雄蔵。
東大卒。
東京専門学校(早稲田大学の前身)講師となり、翻訳『自由太刀余波鋭鋒』を刊行。
勧善懲悪を旨とする功利主義的文学観を否定、写実主義を唱える。
明治18年(1885年)から翌年にかけて、評論『小説真髄』、小説『当世書生気質かたぎ』を発表し、文壇の中心的存在となる。
二葉亭四迷の批判にあい、演劇革新に方向転換。
『早稲田文学』を創刊し、史劇『桐一葉』『牧の方』を発表。
演劇改良の方策として新楽劇を提唱し、『新曲浦島』を創作した。
明治39年(1906年)、島村抱月の文芸協会に参加。


坪内逍遥先生像



「坪内逍遥先生」像

(早稲田大学構内・演劇博物館前)





(平成18年3月11日)

坪内逍遥胸像と台座歌碑

台座上の坪内逍遥胸像は、彫刻家、長谷川榮作氏の原型により昭和37年に鋳造されたもので、逍遥の「シェイクスピア」講義の姿である。
また、台座は、早稲田大学後援会事業資金、池田恒雄氏、近桂一郎氏の協力により演劇博物館創立70周年記念に建立され、歌碑の内容は逍遥を偲んだ會津八一の自筆の和歌である。

むかしひと
こゑも
ほからに
たくうちて
とかしし
於もわ
みえ
きたる
かも

秋艸道人

(碑文より)

演劇博物館



演劇博物館

(早稲田大学)





(平成18年3月11日)

新宿区指定有形文化財 建造物
演劇博物館

所在地 新宿区西早稲田1丁目6番地
指定年月日 昭和62年3月12日

正式には早稲田大学坪内博士記念演劇博物館という。
昭和3(1928)年10月に坪内逍遥の古希と「シェークスピヤ全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志千五百名余の協賛により建設された。
建築の意匠は逍遥の発案によりイギリスのエリザベス朝(16世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。
鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、建坪は約400平方メートルで、内部は逍遥記念室をはじめ8つの展示室、図書閲覧室がある。
また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、2階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。
なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グローブ座に掲げてあった看板の句である。

平成3年11月
東京都新宿区教育委員会

(説明板より)


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