角田竹冷 つのだ・ちくれい (かくた・ちくれい)

安政4年5月2日(1857年6月4日)〜大正8年(1919年)3月20日


角田竹冷句碑



角田竹冷句碑
(東京都千代田区外神田2−16−2・神田明神)





(平成20年6月13日)

角田竹冷句碑

白うおや
   はばかりながら
         江戸の水

安政3年(1856)5月に静岡県富士郡加島村に誕生。
職業は明治初期の「代言人」(今の弁護士)であったが、俳人として名を知られていた。
明治28年10月、みずから発起者となり、尾崎紅葉・岡野知十・巌谷小波・川上眉山・戸川残花らの参加を得て秋声会を組織し、翌年11月俳詩「秋の声」を創刊した。
明治30年6月「卯杖」を出し、後に「木太刀」と改題主宰した。
正岡子規の日本派とともに、俳句革新運動の一勢力をなした時もあった。
晩年は古俳書の収集に熱中した。
いま「竹冷文庫」として東京大学図書館に保管されている。
竹冷は大正8年(1919)3月20日66歳で没す。

(説明板より)



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