上野彦馬像 平成20年11月22日

上野彦馬 うえの・ひこま

天保9年8月27日(1838年10月15日)〜明治37年(1904年)5月22日

長崎県長崎市・長崎公園でお会いしました。


上野俊之丞の四男。
号は李渓。
長崎生まれ。
安政4年(1857年)にオランダ人ポンペから化学を、2年後にはフランス人ロシェから湿板写真術を学ぶ。
文久2年(1862年)11月、長崎に上野撮影局を開設し、職業写真家の開祖の一人となる。
高杉晋作坂本龍馬ら維新の志士の肖像写真に優れた作品が多い。
明治7年(1874年)太陽面を通過する金星を撮影。
明治10年(1877年)には西南戦争の戦跡を撮影する。


上野彦馬の像



日本写真界之始祖 上野彦馬之像
(長崎県長崎市・長崎公園)





(平成20年11月22日)

碑文

上野彦馬翁は天保九年八月二十七日長崎市銀屋町に生る
嘉永五年豊後日田の鴻儒廣瀬淡窓の門に入り修学
安政三年長崎に帰り名村通詞につき蘭語を学び舎密試験所に於て寫眞の術を志し文久年間寫場を建て幾多の苦心を経て遂に寫眞師として自立
優秀なる作品を出すとともに門下の養成に力を盡す
洵に我が國寫眞界の始祖として功績偉大なるものあり
明治三十七年五月二十二日卒す
長崎市寺町皓台寺境内風頭山下に葬る
昭和九年五月全関西寫眞聯盟発起にて新大工町中川河畔翁の旧邸宅跡に碑を建て像を作られしも昭和二十年戦災により破壊せるを以て茲に再建して永久追慕の記念となす

昭和二十六年五月
長崎寫眞師會


咸宜園の入門書状

下段・右から2番目が上野彦馬の入門書状
『長崎中嶋 上野俊之丞倅 上野彦馬 歳十四 入門 嘉永六癸丑四月■四日 紹介 吉■■成』


【上野彦馬とP・ロッシェ】

上野彦馬は、才能なしとみるや、家代々続いた肖像画家をあきらめ、写真の道を選んだ。
その写真にも行き詰った、ある日のことである。
ポンぺの長崎・医学伝習所に通う彼の前に、一人の写真師が現れた。
仏人のP・ロッシェである。
彼の手ほどきを受けた彦馬は、めきめきとその腕を上げていった。
ところが、このP・ロッシェだが、いったい何者なのかすら分かっていない。

(参考:松本逸也 著 『幕末漂流』 1993年4月初版発行 (株)人間と歴史社)

(令和元年10月19日 追記)





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