(包頭〜大奈太)
平成19年10月15日・(第2日目・その2) |
さて、一路“安北”に向かうのだが・・・
比留間さんが希望するルートとは違う道を途中から走り出した。
あれ?
何で山の中に入るの?
「新しい道を走りましょう!」とガイドさん。
「それじゃわからなくなるんだけどなぁ〜古い道を走ってもらわないと・・・」と比留間さんが言ったが無視!(笑)
「新しい道がいいですよ〜早く着きますよ〜」
そういう問題じゃないんだよねぇ〜
思い出を辿る旅なんだからさぁ〜
昔の道を走ってくれないと困るんだけどなぁ〜
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烏拉山脈の中を突っ切る道 車内から撮影。 草木は全く見られない土と岩だらけの山である。 |
岩だらけの山道を走る。
この景色・・・それなりに素晴らしい!
しかし、これ・・・・どこかで見た景色だ。
今から15年前に祖父が亡くなった後、夢に出てきた景色そっくりなのだ!
これには驚いた。
体中が鳥肌!
夢の中の祖父は騎兵として馬に乗って、この山すその河川敷を進んで行く。
それを馬に乗った私が追いかけるのだが・・・・
何故か荷物満載のロバ2頭を連れていたので、ドンドン遅れる。
「おじいちゃ〜ん!おじいちゃ〜ん!」
いくら声をかけても祖父は振り返ってもくれず・・・・そして山の向こうに消えていった・・・
荒涼とした山の中に一人取り残されて寂しいやら寒いやら・・・
というところで目が覚めた!
そういう夢を見たのだが・・・その山が目の前にあるんだから驚いた!
あの夢で見た風景と全く同じなのである。
いったい・・・これは何だろうか?
約1時間半後、“明暗鎮”という集落に到着。
時刻は午後1時30分。
ここで少し遅いお昼を食べることにする。
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『明暗鎮』という名の町 |
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『明暗鎮』という名の町 |
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私たちが食事をした食堂 |
“明暗鎮”は文化大革命以前は“明暗郷”と呼ばれていたという。
ここのお店に、さっき訪れた“竜泉寺”の“轉龍蔵”の水で作られたお酒があると言うので飲んでみることにした。
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『轉龍蔵液』という名のお酒 |
その名も『轉龍液』・・・・液とは・・・異様な名前だなぁ〜(笑)
これが飲んでみるとかなり強いのである。
さすがに拙者は1杯でお断り。
87歳のおじいちゃんは平気で飲んでいる!(唖然・・・)
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昼食 |
お昼はたっぷりと食べたいと比留間さんが言うので、豪華な昼食となる。
最初はこんな店の食事って大丈夫かと思っていたのだが・・・
これが何と意外にもおいしい!。
この地方の家庭料理だとか・・・
ホテルのレストランの食事よりおいしい!
トマトもピーマンもジャガイモもしっかりとした本来の味がする!
懐かしい昔の味!
これには感激です。
ここで出会った“おじいさん”にうっかり比留間さんが元日本兵だという話をしたため、この人と戦時中の話で盛り上がってしまった!(笑)
他の客も興味津々で聞いている。
会話は全て同行したガイドさんに通訳してもらったのだが・・・
この“おじいさん”のお兄さんが、この周辺に駐屯していた日本兵に飴をもらったりして非常に可愛がってもらったと言う。
「日本兵は親切でいい人ばかりだった」と言う。
「もしかして、あの時に兄に飴をくれた日本兵はあんたじゃないか?」と言ってきたが、残念ながら比留間さんはこの地には駐屯していない。
でも・・・このおじいさんは、「絶対あんただよ!」と言って譲らない。(笑)
まぁ〜いいかぁ〜・・・そういうことにしちゃおうか〜
店を出てから比留間さん曰く。
「あの時は生きた心地がしなかったよぉ〜もし、日本兵にひどい目に合わされたなんて言われたらどうしようとハラハラしていたんだけど・・・いやぁ〜よかったぁ〜日本兵は親切だと言われて本当によかった〜」と言う。
元日本兵の心の中には敗戦の傷跡は今も残っている。
何も悪いことをしていなくても後ろめたさを持たざるを得ないとは・・・
さて、移動する前にトイレに行こう!
「トイレはどこ?」
庭にあると言うので行ってみたが・・・・見当たらない!
厨房にいた中国人が指差したのはレンガで囲まれた一角。
ここがトイレか?
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トイレ |
レンガで囲まれただけで、ドアも何もない!
丸見えである。(笑)
しかも・・・穴の中にはこんもりと“あれ”が山になっている!
しかも、その臭いの凄いこと!(笑)
「オエェ〜オエェ〜」と否応なしに咽ながら用を足す。
こりゃ、キツイわぁ〜
しかし、これが田舎の普通のトイレなのである。
危うく食べたものを吐きそうになりながら車に戻る。(笑)
車で走ること約10分で目的地“安北(アンポク)”に到着。
この町は騎兵第14連隊が駐屯していた場所だが、“安北”は当時の呼称なので、今では誰も知らない。
現在は“大奈太(ターナータ)”と呼ばれている。
町の名前が変わってしまっているのである。
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大奈太(=旧・安北)の町 |
比留間さんは10年ほど前にここに来たことがあるという。
その時に会った薬屋のおじいさんと一緒に写った写真を持参してきていた。
このおじいさんは、昔の“安北”のことを知っている唯一の証人とか。
しかし・・・今ではもうお亡くなりになっているのではないだろうか・・・
「じゃぁ、その薬屋さんを探してみましょう!」とガイドさん。
10年も経つと町並みも変わり、どこにそのお店があったのかもわからない。
通行人に写真を見せ尋ねたり、小学校・中学校へ行き先生などに尋ねまわって、やっと消息がわかった。
やっぱり、あのおじいさんは既に亡くなられていると言う。
その息子さんが病院の医師をしているというので会いに行く。
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薬屋の息子さん(医師)と歓談 |
息子さんに写真をプレゼントし、10年前の思い出話。
「是非、家に来てくれ」と言われたが、我々はこれから廻らねばならぬところがあって、お宅を訪問する時間はない。
ここから100キロも離れた“包頭”に戻らねばならぬのだ!
ご親切な申し出に感謝しつつお別れして、安北の城壁を探しに出かける。
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安北城(騎兵第14連隊駐屯地)の城壁跡 |
地元の人の案内で城壁跡に辿り着く。
昔のままの泥で出来た城壁が今も一部が残っている。
厚みが1.5メートル以上もある分厚い城壁である。
この城壁内に連隊が駐屯していた。
門は4箇所。
各門に衛兵が立ち警備をしていたという。
戦友会の席で、よくこの「安北の戦い」の話が出る。
この周辺でかなりの激戦があったらしい。
「お前はいいよなぁ〜連隊本部にいたから・・・俺達はさぁ〜最前線でそりゃひでぇ戦いに巻き込まれてさぁ〜」
「冗談じゃねぇよ。あの時は本部だって危なくなって俺だって銃を取って戦ったんだぞ〜」
「そうかぁ〜?本当かぁ〜?お前がぁ〜?(笑)」
そういう話を昨年の戦友会の席で聞いていたので・・・・
ここがそうなのかぁ〜と感無量。
今では町が形成されているが、駐屯していた当時は、周囲は荒野。
荒野の中に、この城壁で囲まれた砦がポツンとあったというのだから、まさしくアメリカの西部劇に出てくるような感じ。(笑)
「何もなかった場所なのに、変わっちゃったねぇ〜」と比留間さん。
まぁ〜70年近く前のことですからねぇ〜
仕方ないなとは思うけど・・・
それにしても、よく、この城壁が残っていたもんだ。
これには驚く。
安北山
城壁のところから見た「安北山」
ここからあの山までどのくらいあるかわからないけど・・・
ず〜っと平原!
この景色は当時のまま今も変わっていない。
あの向こうから敵が横一列になって土埃を上げながら突進してきたんだろうなぁ〜
想像しただけでも怖いぞ〜
頼みの綱は・・・泥で作った城壁だけ。
比留間さんは何がなんだか分からないまま、ここに1年ぐらい駐屯していたと言う。
「へぇ?こんな辺鄙な場所に1年も?」
私は・・・命令されてもお断りしたいねぇ〜(笑)
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左が城壁跡 城壁内部には民家や工場が建っている。 当時の兵舎などは残ってはいないようだった。 |
名残惜しいが・・・・100キロほど離れている“包頭”へ戻る。
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