騎兵第14連隊の思い出の地・中難と前口子

(大奈太〜中難〜前口子〜包頭)


平成19年10月15日・(第2日目・その3)
烏拉山脈

“大奈太(ターナータ)=安北(アンポク)”を出発して「烏拉山脈」の裾野を回りこむように車で走ること約2時間。
“包頭”から44キロ地点の“中難(チュウナン)”という場所に着く。
ここに連隊から1個中隊が派遣されて駐屯していたというのだが・・・
面影は全くない。

中難(チュウナン)の町

当時は城壁も無く、高さ30センチ程度の低い土盛りで囲まれた中に駐屯していたとか。
はぁ?そんな低い土盛りじゃ簡単に跨げちゃうじゃない?(笑)
今では道路沿いに建物が建っているが、当時は道路も無い。
平原に“道”らしき人が通った痕跡があるくらいの砂と土の大平原。
民家は泥で作った粗末な小屋がポツリポツリとあった程度だという。

時刻は5時。
さぁ・・・帰りますかぁ〜
更に車を走らせる。
「途中に“沙■(土偏に「具」)子”という町があるはずなんですが・・・」と私。
「え?その町がどうしたの?」と比留間さん
“前口子”という町に駐屯していた友軍の蒙古軍が攻撃を受け、救援要請を受けた騎兵第14連隊が“安北”から駆けつける途中、その町で敵の攻撃を受けたのだ。
「へぇ〜そんなことがあったのかい?」と87歳。
あれ?知らないの?(笑)

そういうわけで、“沙■子”という町にも立ち寄りたいと拙者は思っていたのだが・・・
残念ながら現在ではその名の町は存在しないという。
町が消滅しているのか、名前が変わってしまったのか・・・・

烏拉山脈 烏拉山脈

仕方が無い。
そのまま“包頭”に向かって車を走らせる。
その途中、“包頭”まで、あと10キロ程度という場所に“前口子(チンコーズ)”という町がある。
「あのぉ〜この町で小林連隊長が戦死されたんですよね?」と言ったところ、「話では聞いたことはあるが、行ったことはないんだよね。あんた、知ってるの?行ったことがあるの?ちょっと立ち寄ってみようかぁ〜」と87歳。
あのぉ・・・拙者は連隊長が戦死した時にその場にいたわけじゃないですよ。(笑)
生まれて初めて来た場所だからよくは知らないけど・・・
話として知っているだけなんですが・・・
確かこのあたりで戦死したんだよなぁ〜
比留間さんは、連隊長が戦死した時には、どこにいたんだろうか?(笑)

前口子(チンコーズ)の町
前口子小学校 前口子小学校

連隊は“沙■(土偏に「具」)子”で敵の攻撃を受けたため、山の中に入り迂回して、この“前口子”に辿り着いたが、前線で敵情視察中に敵弾3発を受けて小林連隊長が戦死した。
この時の戦闘もかなり激しいものだったようで、連隊長が戦死したことを部下達には秘して翌日まで戦闘を続け、ようやく敵を撃退した後に連隊長戦死の報が部下達に伝えられた。
「確か・・・山のほうへ1キロほど入ったあたりのはずなんですが・・・」
「あんた、よく知ってるねぇ〜」
こうなると、どっちが戦争体験者かわからない(笑)
地形から見て、敵情視察するとすれば、少々高い場所ということになる。
この平原で高いところで、しかも山の近くとなると・・・
ありゃ?高速道路らしきものがが通っているあたりか?
あれれ・・・そういうことになっちゃうか?
結局、「戦死の地」はわからないまま、この町を去ることになってしまった。
う〜ん、残念だぁ〜
申し訳なし!連隊長殿!

それでも比留間さんは「連隊長が戦死した場所に来られて良かった」と喜んでくださったので・・・これでいいかなぁ〜(笑)
「あのね・・・“前口子”の“前口”って、女性の“あそこ”を意味する言葉なんだよ〜」と比留間さん。
あのねぇ〜どうしてそういうことは詳しいの?
87歳の割には若いんだよなぁ〜(笑)
しかし、そういうことを聞いちゃうと・・・とんでもねぇ名前を町につけちゃったもんだ!
住んでる人は恥ずかしくて自分の住所を他人に言えないんじゃないか?(笑)

時刻は午後6時を過ぎた。
日も暮れ始めて暗くなりつつある。
さぁ〜急いで“包頭”に帰ろう!
結局、今日は烏拉山脈をグルリと1周したことになる。
今日の総走行距離は約700キロ!(唖然・・・)

しゃぶしゃぶ しゃぶしゃぶ

無事に“包頭”に到着。
ホテルにチェックインする前に市内のレストランで「しゃぶしゃぶ」の夕食!
午後8時、ホテルに到着。
う〜ん、車に乗っているだけでも疲れたぞぉ〜
チョロチョロとしか出ないぬるいシャワーを浴びて早々に寝る。

ホテルの部屋 ホテルの部屋

  


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