(伊金霍洛旗・東勝)
平成19年10月17日・(第4日目・その2) |
とにかく一つの大きな行事が終了。
あとは・・・・
このハラサ砂漠の近くの砂漠に囲まれてポツンとある新興住宅街のような地区に行く。
ここで、昼食とついでにお土産買い。
閑散としている。
お客さんなんか来るのか?
こんな場所に・・・・(笑)
砂漠の中の新興住宅街 |
新興住宅街にある土産物屋 未だ、建設途中という大きな建物だが・・・ 1階に土産物屋がオープンしていた。 |
食後とお土産買いのあと・・・・
このハラサ砂漠の近く、“東勝(とうしょう)”にある『チンギスハンの墓』を見学に行く。
“東勝”は“包頭”の南185kmにある町だという。
チンギスハン陵 | チンギスハン像 |
大平原というか砂漠の中にポツンとある。
周りに何も無いので大きさが分からなかったが・・・
近くに行ったら・・・あら、大きい!(笑)
内部は撮影禁止。
お墓と言っても、チンギスハンの骨が納まっているわけではない。
チンギスハンの骨はどこにあるのか今もって不明。
ただ、生前、この地にお墓を建ててもらいたいと言っていたので、ここに陵墓を作ったらしい。
あとは・・・まともに説明を聞いていなかったので・・・知らない。(笑)
ここを見学して駐車場に戻る。
ここに来た時はバスは「陵墓」の目の前で降ろしてくれたのだが、帰りは少し歩いて駐車場まで行かねばならない。
その途中にチンギスハンの銅像が建っている。
デカイ!
その石段の向こうに「チンギスハン陵」が見える。
バスに乗り、更に少し走って「博物館」へ行く。
チンギスハン像 |
入り口から歩いていくと巨大なモニュメントが・・・
そこにもチンギスハンの像が建っている。
狭い日本に住んでいる私としては理解不能。
こんなデカイモニュメントを作る金があるなら、木でも植えろよ〜
チンギスハンの騎馬軍を再現した銅像群 |
更に歩くと・・・
そこにはチンギスハンの騎馬軍団の模型が野外展示されていた。
この模型は全て鉄製。
大きさは実物の1.5倍〜2倍くらいかな?
等身大で作らないところが中国らしい。
大きく作って少しでも勇壮に見せようとしてるのか?
ズングリした蒙古馬に乗った背の低い蒙古人を等身大で作ったら、勇壮感が出ないからねぇ〜
中国の見栄っ張りがよく出ている。(笑)
その先に「博物館」があり、チンギスハンについての展示物や蒙古についての展示物がある。
内部撮影禁止なのが残念だが・・・
この展示は評価できる。
しかし・・・入り口からここまで約2キロ。
「チンギスハン陵」へ向かう上り坂を2キロも歩かされたのである!
アホか!
一度来ればもう十分、もう、二度とは来ねぇぞと言いたくなるような施設である。
お元気な比留間さんもヘトヘト・・・
チンギスハン陵遠景
「博物館」から伸びる真っ直ぐな道。
この先に、さっきの銅像や陵墓がある。
これまで歩いたのが2キロということは、更に2〜3キロ先にあるのではないだろうか?
当初はこの「博物館」から更に歩いて「チンギスハン陵」に行く予定だったという。
アホか!(笑)
誰がこんな距離を歩くか!
何の面白味のない一本道を・・・・
帰りは写真の目の前に写っている電動カートに乗って帰るのだが・・・
帰りは下り坂。
なにも電動カートでなくてもいいような・・・(笑)
それより上り坂を電動カートで送るべきじゃないか?
中国人の考えていることはわからん!(笑)
ここを見学して今日の行事は終了。
真っ直ぐ“伊金霍洛旗(エジンホロキ)”のホテルに戻る。
今晩の夕食会は「お別れ会」
現地の自治政府の役人も参加しての夕食会。
“伊金霍洛旗”の「旗」というのは行政区の名前。
日本でいうと「市」と同じようなもの。
この「旗」の下が「郷」→「鎮」→「村」となる。
“伊金霍洛(エジンホロ)”は人口14万人。
首長は「旗長」と言い、1名。
「副旗長」は6名いるという。
その6名の「副旗長」のうちの一人の隣の席に座らされたのだが・・・
この「副旗長」・・・・
他の人のスピーチ中に飲むは食うわ。
おい、おい、まだ乾杯してねぇぞ〜
平気でつまみ食いをしているのである。
何とマナーの悪い男か・・・・
そのうち携帯電話でワーワー大声で話し始めた。
あのねぇ〜(唖然・・・)
いかにも、俺は携帯もっているんだぞ、すごいだろう〜と言わんばかりに得意然としている。
馬鹿か・・・こいつ・・・
中国の「お偉いさん」ってこの程度か?
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