宇土城 うとじょう

熊本県宇土市古城町(宇土城山公園)・神馬町(西岡台)


 平成23年2月8日

宇土城跡(城山) 市指定史跡

天正16年(1588)、小西行長は宇土・益城・八代・天草を拝領し、翌17年からこの地に新城を築き始めた。
また、支配体制を整えるために、領内の隈庄城(城南町)、木山城(益城町)、岩尾・愛藤寺城(矢部町)、麦島城(八代市)を支城とし、城代を置いた。
朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し、豊臣秀吉は、行長を一番隊の隊長に任命した。
この戦役の間、行長は和平実現のため幾度となく会談し、家臣の内藤如安は北京において明国との交渉にあたった。
慶長5年(1600年)、行長は西軍に参加し、関ヶ原で戦った。
このとき、加藤清正は宇土城を攻め、行長の弟隼人は城を死守していたが、行長処刑が知らされると開城した。
その後、肥後一円は加藤領となり、宇土城にも城代を置いた。
清正は、この城を隠居所とするために普請を行ったが、慶長16年(1611)に没し、翌17年、幕府の命令により城は破却された。
また、天草・島原の乱後、城は徹底的に壊され、正保3年(1646)に、宇土細川藩が成立したが、築城は許されず陣屋を構えたため、以後、城を築くことはなかった。

城は東西550m、南北500m、面積20万uの規模を誇る。
本丸は、高さ十数mの石垣を築き内堀を巡らす。
ほかに二ノ丸、三ノ丸などの郭を置き外堀を巡らし、周囲の沼地と共に城の守りを堅固にしていた。
城跡からは、石垣・建物・門・井戸などが発掘され、瓦も多量に出土。
また本丸の地下2mにも城の遺構があり、焼けた建物跡からは、鉄砲玉や鎧などが、さらに下層からは、中世・古墳時代・弥生時代の土器が多量に出土している。

※ 旧城―宇土城跡(西岡台) 国指定史跡
※ 陣屋―新小路町(中央公民館付近)

(説明板より)






小西行長公銅像






(平成23年2月8日)





宇土城跡(城山)の石垣






(平成23年2月8日)

宇土城跡(城山)の石垣

所在地:宇土市古城町
指定区分:市指定史跡

概要
宇土城(城山)は、天正16年(1588)に肥後南半国(宇土・益城・八代の三郡)の領主となった小西行長が、翌年の天正17年(1589)から築城したといわれています。
この城は小西行長が宇土に入る前からあった中世の宇土城(西岡台)と共に見ると鶴が翼を広げているように見えるので、別名「鶴の城」ともいわれます。
小西行長は、関ヶ原の合戦の際西軍として戦ったため、関ヶ原の合戦の後、宇土城は肥後一国(球磨と天草を除く)の領主となった加藤清正のものとなり、城代がおかれました。
清正は、宇土城を自分の隠居所とするために普請を行ったという記述が「肥後宇土軍記」(市指定有形文化財)の中に見えることや、昭和55年度から行われた発掘調査の結果、本丸には約2メートルの盛り土があり、小西時代のものはその下から出てくる事等から、いま現在目にする事が出来るこの石垣は、加藤清正が積み上げさせたものだと考えられます。
石垣の積み方は打ち込みハギといわれるもので、熊本城と同じ積み方です。
ただこの石垣も見えているのは半分程度で、地面の下には、地上の石垣と同じぐらいの高さの石垣が埋まっています。
清正は隠居することなく慶長16年(1611)に没し、翌慶長17年(1612)には幕府の命令で城は壊され、この際石垣も壊されました。
さらに寛永14年(1637)の島原の乱後、宇土城は徹底的に壊されましたので、この石垣は二度の破壊をくぐり抜けた貴重な石垣といえます。

(説明板より)


中世の宇土城

(宇土市神馬町・「西岡台」)

史跡 宇土城跡

昭和54年3月14日 国指定

位置と歴史
宇土城跡は、通称「西岡台にしおかだい」と呼ばれる標高約39mの小高い丘陵上にあります。
西岡台の東約500mには、戦国大名の小西行長公が16世紀末に築城した宇土城跡(城山)があるため、西岡台の宇土城跡を「中世宇土城跡」や「宇土城跡(西岡台)」と呼んで区別しています。
言い伝えでは、永承3年(1048)に宇土城が造られて以後、菊池氏の一族が代々城主であったとされています。
室町時代には、宇土氏と名和なわ氏が宇土城主となりました。
宇土氏は、守護大名だった菊池氏の一族と伝えられています。
古くから宇土に勢力をおいていましたが、文亀3年(1503)に菊池氏との争いに敗れて滅びました。
一方、名和氏は、室町時代の初め頃から八代やつしろにいましたが、文亀4年(1504)、相良さがら氏が名和氏を攻めたため、八代から宇土へ移りました。
それから80年余り名和氏は宇土城主として活動しました。
城を使わなくなった時期は、行長公が近世宇土城の築城を開始した16世紀末頃と考えられます。

縄張り―城の構造―
戦国時代を中心に日本列島に数多く造られた中世城は、自然地形をできる限り活かし、重要な場所や守りの弱い場所に堀や土塁どるいを造って敵の侵入を防いでいました。
西岡台の頂上部には、東西に並ぶ2つの曲輪くるわと呼ばれる防御された広場があります。
東側の曲輪は「千畳敷せんじょうじき」と呼ばれており、周囲に人工的に削り出した切岸という崖や堀を造り、敵の侵入を防ぐ工夫をしています。
同じく西側は「三城さんのじょう」と呼ばれ、切岸で守りを固めています。
また、三城の西側には幅約10mの巨大な堀と、その西側に土塁が築かれています。
西岡台の南側斜面や麓ふもとに、領主(殿様)や家臣、一般民衆が住んでいたと考えられます。

発掘調査からわかったこと
千畳敷の調査では、掘立柱ほったてばしら建物跡・柵列さくれつ跡・門跡・井戸跡・堀跡が見つかりました。
千畳敷を囲む堀が未完成だったことや、曲輪の出入口である虎口こぐち付近で、城の生命を断ち切る儀礼行為「城破しろわり」を確認しました。
三城の調査でも、掘立柱建物跡、門跡、道跡、溝跡などが見つかっています。
建物の柱穴や、堀に堆積した土の中から、土師はじ質土器や擂鉢すりばち・火鉢などの瓦質がしつ土器、備前焼や瀬戸焼、中国で焼かれた白磁・青磁・染付そめつけなどの13〜16世紀を中心とする陶磁器や鉄砲玉などが出土しました。
また、珍しい朝鮮半島製やタイ製の陶磁器も出土しています。
なお、古墳時代前期(4世紀)には、千畳敷に「首長居館しゅちょうきょかん」と呼ばれる、豪族の住まいがありました。
周囲を断面「Vの字形」をした大きな壕で防御しており、敷地の広さは九州でも最大規模を誇ります。
首長居館の建物跡は、中世の城造りで大規模に土地が削られたために無くなったと考えられています。
首長居館の壕からは、生活に使った土師器の壺・甕かめ・高坏たかつきなどが出土しています。
また、西岡台の西の端には、西岡台貝塚(縄文時代)があり、発掘調査でドングリを貯蔵した穴が5基見つかっています。

平成16年3月   宇土市教育委員会

(説明板より)






掘立柱建物跡






(平成23年2月8日)

掘立柱建物跡

この地点より発掘された掘立柱建物跡3棟の、柱の位置を表示したものです。
うち2棟は重なっており、南北は共に8m、東西は3.9mと3.4mをはかります。
別の1棟は西側に1mの張り出しを持ち、東西3.3m、南北6mの規模です。
室町から戦国時代にかけて建てられたものと考えられます。

(説明板より)






腰曲輪






(平成23年2月8日)

腰曲輪こしくるわ

この城の北側は、急な崖によって敵の侵入を防いでいます。
しかも、この一帯にみられるように、崖の上部には腰曲輪とよばれる幅20mほどの帯状の地形があり、発掘調査によって、そこに建物が配置されていたことがわかりました。
これらの、崖面や帯曲輪が一体となって、一層、城の守りを堅くしています。

(説明板より)






竪堀跡






(平成23年2月8日)











(平成23年2月8日)

19号建物跡および柵列さくれつ

主郭しゅかくの千畳敷跡ではたくさんの柱穴が確認されており、重なった状態で見つかったものも多く、何度も建て替えが行われたことがわかります。
建物の構造は、素掘りの柱穴に柱を据えつけた掘立柱建物で、瓦が出土しないことから屋根は板葺いたぶきもしくは萱葺かやぶきだったと考えられます。
千畳敷における建物跡の変遷を検討した結果、遺構表示を行った建物跡および柵列跡は同時期に存在していたとみられ、その年代は16世紀後半頃と考えられます。
19号建物跡は桁行けたゆき4間(総長7.3m)・梁行はりゆき3間(総長5.6m)、建物軸方向は南北棟(N−6°−W)の掘立柱建物跡です。
平均柱間寸法は桁行1.83m(6尺)・梁行1.87m(6尺2寸)で、柱掘り方は長方形と楕円形、柱痕跡は円形(直径20cm前後)です。
本建物跡西側に所在する2つの柵列跡のうち、東側の柵列跡は4間(総長8.7m)・軸方向は南北(N−4°−W)であり、西側の柵列跡も4間(総長8.2m)で軸方向は東西(N−83°−E)です。

(説明板より)






千畳敷の出入口付近の堀跡






(平成23年2月8日)

堀に投げ込まれた大量の石塔

千畳敷の出入口(虎口こぐち)付近の発掘調査で、五輪塔や宝篋印塔ほうきょういんとうなどの石塔(墓石)が内堀跡から大量に出土しました。
出土状況から意図的に投げ込まれたものと推定され、石塔の投棄による「城破しろわり」(城の生命を断ち切る儀礼や儀式)を具体的に示す貴重な事例として注目されています。
城破りに関係する石塔の投げ込みは九州で初めての発見で、全国的にも数例しか確認されていません。
出土した石塔の大半は、保護するために埋め戻しましたが、一部は風化しないように石材強化処理を施して野外展示しました。

平成18年3月
宇土市教育委員会

(平成23年2月8日)




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