愛媛県宇和島市坂下津さかしず
平成19年11月6日
宇和島海軍航空隊跡の碑 (愛媛県宇和島市坂下津・坂下津産業団地) (平成19年11月6日) |
記念之譜
太平洋戦争熾烈の秋 我等海軍甲飛14期生は此の地にて猛訓練に励み飛翔の機を待ちたり
爾来三十有余年 往時を偲びて感無量なり
平和の世にあるを謝し 我等の青春の譜を勒銘せんとす
因って隊跡に碑をたて 亡き同期生の桜の冥福を念じ 祖国の彌栄を祈るものなり
昭和54年3月11日 建之
元宇和島海軍航空隊第14期甲種飛行予科練習生有志一同
敷地提供者 宇和島市 土居 幸治 氏
施工 岡山市 (有)江国石材工務店
(副碑・碑文より)
宇和島海軍航空隊跡の碑 (愛媛県宇和島市坂下津・坂下津産業団地) (平成19年11月6日) |
弾薬庫跡 (愛媛県宇和島市坂下津・坂下津産業団地) 跡地に残る唯一の遺構とのことです。 (平成19年11月6日) |
弾薬庫内部 (愛媛県宇和島市坂下津・坂下津産業団地) (平成19年11月6日) |
宇和島海軍航空隊跡(現:坂下津産業団地) |
予科練の宇和島空は昭和19年松山空宇和島分遣隊として開隊。
甲飛13期が短期間在隊し、飛練に進む。
その後、甲飛14期、甲飛15期、甲飛16期がここで予科練訓練を受けた。
往時は、現在紡績工場のある場所に兵舎が、練兵場は海に面していたという。
宇和島海軍航空隊は予科練の訓練機関だったため、滑走路はなかったとか。
地形的にも航空機が離陸できる地形ではない。
不時着機が飛来してここに不時着したという事件があったが、飛び立っていったということはないと地元の方のお話。
(平成20年6月29日追記)
宇和島空
宇和島海軍航空隊の前身は、松山空宇和島分遣隊として設置。
昭和19年3月15日、甲飛13期(前期)が配属されて教育を開始。
同期は、6月1日予科練教程を終了し、上海空、青島空、徳島空(偵察)等に転隊。
6月1日に甲飛14期(前期)約1,900名が、9月1日に同(後期)約600名が松山空から転隊。
昭和20年3月1日、分遣隊が独立して宇和島海軍航空隊となったが、5月31日に予科練は教育中止となり、「伏竜」などの特攻隊員として退隊。
その後は特別陸戦隊編成となり終戦を迎えた。
(参考:『月刊 予科練』 平成18年10月号)
(平成20年8月22日追記)
旧日本海軍魚雷酸素式機関部 (愛媛県宇和島市・宇和島市立歴史資料館) 旧宇和島海軍航空隊 甲種飛行予科練習生実習用教材 (平成19年11月7日) |
(関連商品のご紹介)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||