和田義盛 わだ・よしもり

久安3年(1147年)〜建暦3年5月3日(1213年5月24日)


幕府の初代侍所別当。
通称小太郎。
本領は相模国三浦郡和田郷。
治承4年(1180年)源頼朝挙兵時には、三浦義澄と共に頼朝軍に加わった。
同年11月、侍所が設置されると初代別当となって軍政を担当する。
建久6年(1195年)頼朝上洛に際し洛中警固の奉行を勤め、頼朝の推挙で左衛門尉に任官。
正治元年(1199年)源頼家の親裁を停止する十三宿老合議制が敷かれると、その一員となった。
梶原氏追討や比企氏討滅に北条氏と同一歩調をとったが、建保元年(1213年)泉親衡いずみちかひらの乱に一族が加わり北条義時と対立。
和田合戦を起こして敗死。67歳。


和田一族戦没地の碑

『和田一族戦没地』碑
(神奈川県鎌倉市由比ガ浜・和田塚)

鎌倉保勝會長 男爵 沖守固
明治42年9月25日竣工




(平成18年9月24日)
和田義盛一族墓



和田義盛一族墓
(神奈川県鎌倉市由比ガ浜・和田塚)

第2代執権・北条義時と戦い、わずか2日で敗れた和田義盛一族を葬った場所といわれている。






(平成18年9月24日)
和田塚



和田塚

(神奈川県鎌倉市由比ガ浜2−19)





(平成18年9月24日)



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