野砲兵第2連隊

(通称号:勇1307部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
仙台 明治17年 第2師団 サイゴン

明治11年、仙台鎮台に砲兵隊が創設される。
明治12年に山砲兵第2大隊、明治17年に砲兵第2連隊、明治22年に野戦砲兵第2連隊と改称される。

日清戦争に第2軍隷下部隊として従軍。
明治28年、栄城湾に上陸し威海衛攻略に参加。
その後、旅順の警備。
明治28年10月、連隊主力は台湾平定作戦に参加し翌年5月に帰営。

明治37年2月、日露戦争に動員下令。
第1軍隷下部隊として鴨緑江の戦闘、遼陽、沙河、奉天会戦に参加。
明治39年1月、仙台に復員。
明治43年から2年間、朝鮮警備のため羅南に駐留。

昭和6年満洲の海城に駐屯。
満州事変が勃発し、奉天北大営攻撃に参加。
11月、昂々渓の戦闘、チチハルの追撃戦を実施。
昭和8年1月帰営。
昭和12年2月、再度満洲に派遣されハルピンの警備を担当。
支那事変が勃発し、第15混成旅団が編成される。
連隊主力は旅団長の指揮下に北支へ出動し、11月帰還。
昭和13年5月、混成第3旅団が編成され、連隊主力は徐州作戦に参加。
昭和14年5月、ノモンハン事件では第1大隊を伊林へ移動、第3大隊をハンダガヤ方面で戦闘に参加させ、停戦協定のため帰還。
昭和15年9月、復員。

昭和16年9月、臨時編成下令。
昭和17年1月、南方作戦用に編成を改正し蘭印作戦に参加。
昭和17年8月、ガダルカナル島奪回作戦に参加。
第2師団主力のアウステン山地縦走の大迂回攻撃に1個大隊を配属。
連隊主力は海岸地区陣地を占領して側面から本攻撃に協力。
山越えの大隊は分解した山砲、弾薬等を背負い、ルンガ河上流のジャングル、急俊路を啓開しながら難行軍の末、ルンガ飛行場を総攻撃した。
しかし、米軍の火力障壁で総攻撃は失敗。
昭和17年11月、第38師団がガ島に上陸したが、師団の攻撃に失敗し、以後持久戦に転移。
連隊は兵力760名に激減し、そのうち戦闘に耐えうるのは半数。
火砲も7割を失う。
昭和18年1月、ガ島を撤退。
ブーゲンビル島からフィリピンへ移動し再編成され戦力を回復。
昭和19年、ビルマ戦線へ派遣。
昭和20年、インドシナ正面に転用されて終戦を迎えた。


野砲兵第二連隊跡の碑



「野砲兵第二聯隊跡」の碑

(宮城県仙台市・宮城県美術館)





(平成21年11月9日)
「野砲兵第二聯隊跡」の碑は、美術館裏の通用口の近くの植え込みの中にありますが、ちょっと見ただけでは見つけることができません。
まるで隠すように植え込みが植えられています。
このような扱いには疑問を持たざるを得ません。
碑の裏に「碑文」が刻まれているかどうかも、周囲を植え込みに囲まれているため確認できません。
野砲第二連隊跡(現:県美術館)



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