野砲兵第3連隊

(通称号:幸3708部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
名古屋 明治17年 第3師団 中支・九江

明治11年2月、名古屋鎮台に砲兵第3大隊として創設。
明治17年、砲兵第3連隊に改編。
明治22年野砲兵第3連隊と改称。

(日清戦争)
朝鮮で作戦のため、地形から山砲に換装。
明治27年8月、主力は元山、一部は仁川に上陸し、平壌攻略後、鴨緑江、海城作戦に参加。
翌年、牛荘、田庄台に作戦し、講和後の7月に内地に帰還。

(日露戦争)
明治37年3月、第2軍隷下となり、南山の戦闘、遼陽、沙河、奉天会戦に参加。
明治39年1月帰営。

大正7〜8年にシベリア出兵。
昭和3年、第2次山東出兵(1個大隊)。
昭和9年〜11年、満洲駐留。

(支那事変)
昭和12年8月、動員下令。
呉淞附近で敵前上陸し、先遣隊の戦闘に参加し、第一線の攻撃に協力。
その後、上海附近の戦闘に引続き、南京攻略戦に参加。
昭和13年8月、第2軍に編入。
昭和14年以降の作戦には山砲を装備携行する。
徐州会戦、漢口攻略では大別山の大迂回作戦に参加。
昭和15年、宜昌作戦、漢水作戦で活躍。
昭和16年9月から第一次長沙作戦で山砲4個中隊、第二次作戦で6個中隊編成で参加。
野砲、十榴は残置し完全に山砲部隊の様相となる。
昭和19年4月からの大陸打通作戦では山砲3個大隊の山砲連隊となり奮戦。
昭和20年4月、派遣軍直轄となり、南京上海地区へ移動し、対米上陸作戦準備のため移動中に終戦を迎える。


野砲兵第3連隊跡碑



「野砲兵第3聯隊跡」碑

(愛知県名古屋市中区三の丸2丁目・名城東小公園)





(平成20年4月16日)

碑文

野砲兵第三聯隊々歌
               北白川成久王御作
   隊歌

鳴海の海の波こえて
    名古屋の城に春秋を
重ねて立てる鯱鉾の
    黄金の色も照りはえて
御幸の度に御車を
    迎へまつれるかしこさよ

かへりこぬ過去を思いつゝ隊歌の一節を書して記念とす   北白川房子

野砲兵第3連隊の遺跡

明治大正昭和の三代に亘り日本興隆発展の時代に日夜将士が寝食苦難を共にし克己奉公の清冽なる精神に燃え崇高なる人格養成に精進し道場の地なり
憂国の情ほとばしりて日清日露の両戦役より太平洋戦争に至る間燦として青史に輝くその功績を記念しまた遠く異域の山野に戦没せる英霊諸士の遺勲を永く■に偲ばんとす

昭和39年4月19日建立
野砲兵第3連隊遺跡保存有志一同
尾崎三雄 書

(碑文より)

野砲兵第3連隊跡(名城東小公園)

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