(通称号:杉4738部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
弘前 | 明治29年 | 第8師団 | フィリピン・ルソン島マニラ東方 |
明治29年、日清戦争後の軍備充実計画にもとづき仙台で編成着手。
翌年、弘前兵舎が完成。
明治31年10月1日発足。
明治32年、山砲兵連隊に改編。
明治37年6月、日露戦争に動員下令され満洲軍予備となる。
明治38年、野砲兵連隊に改編され、奉天会戦に参加。
翌年に復員し、正式に野砲兵連隊に改編。
昭和7年、満州事変に出動。(第1大隊は先発出動済み)
翌年2月から熱河作戦に参加。
昭和9年3月復員。
昭和12年、再度満洲に派遣され東満の防衛に任じる。
昭和16年7月の『関特演』では第20軍の編組に入り、東満の骨幹兵団として防衛に任じる。
昭和19年、中部太平洋方面の戦局悪化に伴い、第3大隊をエンタービー防衛強化のため派遣。
昭和19年7月、連隊に動員下令。
フィリピン・ルソン島に上陸してバタンガス地区に進出。
第1大隊は高階支隊に配属されレイテ決戦で玉砕。
第4大隊は藤重支隊に配属され、マニラ南方バダンガス地区で陣地構築。
その後、北方リパ地区飛行場周辺に移動、更に陣地変換して北方イポ地区へ進出。
昭和20年2月、第2大隊、第3大隊は河嶋兵団に配属。
連隊は本部と若干の砲兵力。
マニラ東方の複郭陣地で凄絶な戦闘を展開、弾尽き、食料尽きた中で防御戦闘続行中に終戦となる。
野砲兵第8聯隊之碑 (青森県弘前市・弘前市立第三中学校) (平成21年11月2日) |
碑文(裏)
明治百年
弘前市制施行80周年
昭和43年11月3日
建設省部隊関係有志
弘前市立第三中学校 (青森県弘前市豊原1−3−3) (平成21年11月2日) |
野砲兵第8聨隊第10中隊戦没者之碑 (フィリピン共和国ルソン島・カリラヤ慰霊公園) 平成7年9月吉日建立 野砲兵第8聨隊第10中隊生存者並びに遺族有志 (平成18年11月2日) |
慰霊碑群 (フィリピン共和国ルソン島・カリラヤ慰霊公園) (旅日記参照) (平成18年11月2日) |
ルソン島南部 藤兵団 野砲兵第8聯隊第10中隊戦歿者之碑 (フィリピン共和国ルソン島バグサンハン・比島寺) 昭和61年1月17日建立 第10中隊生存者有志 (平成18年11月2日) |
第8師団(杉兵団) 野砲兵第8聨隊戦歿者之碑 (フィリピン共和国ルソン島バグサンハン・比島寺) 昭和62年11月吉日建立 野砲兵第8聨隊比島会 (平成18年11月2日) |
比島寺 (フィリピン共和国ルソン島・バグサンハン) (旅日記参照) (平成18年11月2日) |
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