野戦重砲兵第12連隊

(通称号:尚武3770部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
静岡県三島 (第1次)昭和12年
(第2次)昭和16年
(第2次)
第14方面軍
(第2次)
フィリピン・北部ルソン島

(第1次)
昭和12年9月、支那事変のため動員下令。
上海付近の戦闘、南京攻略戦に参加。
昭和14年5月、三島に帰営して解隊。

(第2次)
『関特演』により昭和16年7月に動員。
編成は2個大隊6個中隊、三八式15センチ榴弾砲24門、約2,400名、馬匹1,800頭、連隊段列のみ自動車化。
ハルピンで東満の防衛に任じる。
昭和19年7月、比島に転用。
リンガエン湾東部に陣地構築。
昭和19年12月、第2大隊を第23師団(旭兵団)に、連隊主力は独立混成第58旅団(盟兵団)に配属となる。
連隊長は旅団砲兵隊長となり、連隊主力、独立重砲兵第4大隊、独立重砲兵第20大隊の一部等を指揮し、ダモルテスからロザリオ道に展開。
昭和20年1月、ルソン島に上陸してきた米軍に対して反撃を開始。
しかし、敵の砲爆撃により後退。
2月中旬、4門のみとなる。
4月、全火砲を失い歩兵部隊となる。
その後、プログ山付近の最後の複郭陣地も敵に包囲され孤立状態となり、飢えと病気の中で終戦を迎える。


慰霊碑


慰霊碑

野戦重砲兵第十二聯隊
(第3770部隊)
(愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音慰霊場)

昭和55年6月4日建之


(平成20年4月16日)

碑誌
我が野戦重砲兵第12連隊は昭和12年三島に於て編成され三八式15糎榴弾砲24門を装備、中支にて赫々たる武勲を樹つ。
昭和16年8月満州北辺強化の為再度動員下令、極秘裡ハルピン地区に進駐零下40度の酷寒昼夜も厭わず軍の骨幹たる使命を完遂する為猛訓練に終始す。
昭和19年北辺駐留の精鋭逐次南方に参戦す。
7月中旬連隊に出動下令、現編成を縮小し一路南下、主力は9月中旬ルソン島に上陸したるも後続の一部将兵馬匹は撃沈され海没す。
連隊は上陸後第14方面軍の隷下第23師団に配属さる。
11月上旬より敵の上陸を予期し陣地構築待機中翌年1月9日敵主力はリンガエン湾に上陸、我軍は之を迎撃茲に乾坤一擲の交戦となるも制空海権を握る敵の猛攻惨烈言語に絶す。
我軍は壊滅的打撃を受け逐次後退し幾度か拠点を死守したるも4月中旬連隊は火砲全部を失い砲兵の使命を喪失す。
連隊は解隊し各々他部隊に配属し兵団最後の陣地プログ山内に転進せるも敵は腰背に迫り大包囲中に閉塞され飢餓線上悪疫に悩みつゝ孤立無援の状況下に終戦を迎う、此間連隊の損耗約8割実に玉砕の悲運なり。
茲に同志相計り斯碑を建立、遠きルソンや北満の地にて散華せられし友を始め、輸送中海没の悲運に会われた友、及全滅の馬匹の各霊魂を合祀し其冥福を祈ると共に幾多苦斗の様相を後世に伝う。

生存者一同

昭和55年6月4日
元野戦重砲兵第12連隊
碑誌記 副官 大上友一


野戦重砲兵第12連隊戦没英霊の碑



野戦重砲兵第12連隊戦歿英霊之碑

(フィリピン共和国ルソン島パグサンハン・比島寺)

1981年2月戦跡訪比生存者・遺族一同建立



(平成18年11月2日)
比島寺



比島寺

(フィリピン共和国ルソン島パグサンハン)


旅日記参照)


(平成18年11月2日)

【野戦重砲兵第12連隊】

昭和19年10月 北サンフェルナンド上陸
昭和20年1月上旬 ポルソビオ(主力)盟兵団配属
             シソン(一大隊)旭兵団配属
昭和20年3月11日 ナギリアン戦に参加
昭和20年4月24日 トリニダッド〜21キロ
昭和20年4月29日 部隊解散
              歩64、歩71、歩72に分散転属
昭和20年4月30日〜7月下旬 アンブクラオ〜インチカク〜カバヤン
昭和20年8月15日 カバヤン東方山中で終戦

(参考:村田三郎平著 『最前線爆雷製造部隊』 風媒社 1977年第1刷)

(平成23年10月22日追記)


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