山県大弐 やまがた・だいに

享保10年(1725年)〜明和4年8月22日(1767年9月14日)


名は昌貞、字は子恒、通称は軍治、のちに大弐。
甲斐国生まれ。
甲府与力の時に弟が殺人逃亡を図ったため改易。
江戸で若年寄・大岡忠光に仕え、忠光の死後辞去。
江戸八丁堀に家塾を開いて、古文辞学の立場から儒学や兵学を講じた。
上野国小幡藩家老・吉田玄蕃げんばら多くの藩士を弟子としたが、同藩の内紛に巻き込まれ、明和3年(1766年)門弟に謀反の企てがあると密告されて捕らえられる。
翌年、幕府を憚る議論をしたという理由で処刑された。


吾嬬森碑



吾嬬森碑
(東京都墨田区立花1−1−15・吾嬬神社)





(平成19年4月27日)

吾嬬森碑

所在地 墨田区立花1丁目1番15号 吾嬬神社内

この碑は、明和3年(1766)に山県大貮が建てました。
碑文に日本武尊やまとたけるのみことの東征と、尊の妃・弟橘姫おとたちばなひめが入水して海神を鎮めたことなどを記して、姫の事蹟を顕彰しています。
このあたりは江戸時代から吾嬬の森とか、浮洲の森とも呼ばれて有名でした。
ここには、連理の樟と呼ばれた樟の巨木が茂っていて、広重の江戸名所百景にも描かれたほどです。
今は枯れた樹幹だけが残っています。
また、この地から加曽利BU式と称する縄文式土器が発掘され、この地の発展の古さを示しています。
なお、この碑を建てた山県大貮は、医を業とし、地理・数学・兵法にも通じていました。
尊皇の志篤く、幕政を批判するなどのことがあり、ついに捕らえられて、明和4年死罪に処せられました。

昭和55年3月
墨田区

(説明版より)

狛犬



狛犬

(吾嬬神社)





(平成19年4月27日)

墨田区登録文化財
狛犬 安永二年五月銘

所在 墨田区立花1丁目1番 吾嬬神社

この狛犬は比較的小型の一対ですが、世話人10名と奉納者22名もの名前が刻まれています。
そのほとんどが築地小田原町(中央区築地6・7丁目)や本船町地引河岸(中央区日本橋本町)など日本橋の商人であることから、海運・漁業関係者とのつながりをよく表しているといってよいでしょう。
このことは吾嬬神社の由来に起因しています。
日本の神話に、日本武尊やまとたけるのみこと命が現在の東京湾を舟で渡っている時に海神の怒りに触れ、往生していた時に妻の弟橘媛おとたちばなひめが海に身を投げて海神の怒りを鎮めたという話があります。
この媛の品が流れ着いた所がこの地だったということです。
以来、海や川で働く人々の守護神として信仰されてきたわけです。
また、昔は地盤沈下していなかったため、この社の裏の「吾嬬の森」と呼ばれた森が小山のように広がり、海上からの好目標だったことも崇敬を集めた理由のひとつでしょう。
現在、鉄柵の奥にあるために近づくことはできませんが、かえって台座に刻まれた人名など、良い状態で保存されています。

平成9年3月
墨田区教育委員会

(説明版より)

吾嬬神社



吾嬬神社
(東京都墨田区立花1−1−15)





(平成19年4月27日)

吾嬬神社

御祭神 弟橘媛おとたちばなひめノ命みこと 日本武尊やまとたけるノ尊みこと

御由緒
往時は吾嬬の森八丁四方といわれ亦は浮洲の森とも呼ばれこんもり茂った森林の神域にあった名社である
草創は遠く景行天皇(12代)の頃にさかのぼり祭神は弟橘媛命を主神として日本武尊ノ命を御合祀奉斎してあります
正治元年(1199)北條泰時が幕下の葛西領主遠山丹波守らに命じて神領(三百貫)を寄進し社殿を造営した
嘉元元年(1303)開創の眞言宗、宝連寺、現亀戸4丁目を別当寺とし吾嬬大権現と稱した以後武家の尊崇が篤く安永3年(1774)大川橋の新設にあたり江戸から当社えの参道にあたる所から橋名を吾嬬橋と稱したとも云う
明治21年数村を合せて吾嬬村と稱したのは時の府知事高崎五大の発案で社名をとったのである
抑当社御神木楠は昔時日本武ノ尊東夷征伐のみぎり上総の國に到し給わんと御船に召されたるに海中にて暴風しきりに起り来て御船すでに危ふかりし時御后橘媛ノ命海神の心を知りて御身を海底に沈め給ひしかば海上忽おだやかに鎮りたり
此時一ツの島忽然と現れければ御船をその島に着け嶋にあがらせ給ひて「あゝ吾嬬恋し」と宜びしに俄かに東風吹き来りて御召物海上に浮び磯部にたじ寄らせ給ひしかば尊大いに喜ばせ給し媛の御召物を浮洲に納め築山をきづき御廟となりたり
これ現在の御本殿の位置なり
此時尊は二本の楠の箸を地にさして末代天下平安ならんには二本共に榮ふべしと尊自ら御廟の東の方にさしせ給ひに二本共に忽ち根葉を生じ葉茂り相生の女木男木となれり
此二千有餘にわたり梢の色も変うじ栄えし名木も第二次大戦の災禍をうけ焼け落ちて化石の如き姿で残った
其一部で賽銭箱を造り神前に保在された
此惜む名木にかわる若木をと明治維新約百年を記念して元木に優る生長を祈願して植樹された
其念願がかない現在神前に頼母しい若葉乃姿を見せて居る

(説明版より)




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