山県伊三郎 やまがた・いさぶろう

安政4年12月23日(1858年2月6日)〜昭和2年(1927年)9月24日


山県有朋の甥おい
萩藩下級武士の家に生まれ、有朋の養嗣子となる。
岩倉遣外使節団に随行してドイツに留学。
帰国後は外務省を経て内務省に入り、徳島県知事、内務省地方局長、内務次官等を歴任。
明治39年(1906年)〜明治41年(1908年)、第一次西園寺内閣の逓信相。
韓国副統監、朝鮮総督府政務総監として植民地行政を推進。
晩年は枢密院顧問官をつとめた。


山縣伊三郎誕生地



山県伊三郎誕生地

(山口県萩市川島・山県有朋の誕生地の近くにあります。)
個人宅として現在も使われているようでした。



(平成15年7月26日)

山縣伊三郎誕生地

明治・大正期の政治家、公爵。
萩藩士勝津兼亮の二男として安政4年(1857)12月23日、川島のこの地に生まれた。
文久元年(1861)叔父山縣有朋の養子となり山縣家を継いだ。
明治4年上京後、ドイツに留学、帰国後法制局参事官に任じ、のち愛知県・東京府の書記官を経て、徳島・三重の県知事、逓信省管船局長、内務省地方局長、同総務長官、内務次官などを歴任した。
39年逓信大臣に任じ、41年辞任して貴族院議員となり、ついで韓国副統監、朝鮮中枢院議長となった。
大正9年には関東長官、11年枢密顧問官に任じられる。
14年答礼使として仏領印度支那に派遣され、日仏国交のためにつくす。
文雅風流の道に通じ、特に蘭画を能くし、又尺八に巧みであった。
昭和2年9月24日病没す。
71才。

(説明板より)



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