明治25年(1892年)5月10日〜昭和63年(1988年)12月15日
本名は吉郎。
東大卒。
東京大学工学部教授。
高浜虚子に学び、大正11年(1922年)水原秋桜子しゅうおうしらと東大俳句会を起こす。
昭和5年(1930年)盛岡市で俳誌『夏草』を創刊。
昭和9年(1934年)東大ホトトギス会を起こす。
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やまなしの木 (岩手県盛岡市愛宕町14−1・中央公民館) (平成21年11月5日) |
やまなしの木
これは、盛岡出身の俳人・山口青邨が幼少の頃よく登って遊んだ山梨の木です。
秋には小さな実をつけます。
この場所に、青邨が中学時代まで育てられた笹間忠一宅がありました。
その家は、現在、庭園に移築され「愛宕邸」と呼ばれています。
また、庭園には、青邨の句碑「遠山の くつがへるさま 郭公鳴く」もあります。
(説明板より)
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愛宕邸 (岩手県盛岡市愛宕町14−1・中央公民館) (平成21年11月5日) |
愛宕邸
この建物は、もと公民館南側の国道際に建てられてあったもので、俳人山口青邨(本名 吉郎)が幼少時代を過ごした旧居(青邨の伯父笹間忠一氏宅)である。
昭和55年に中央公民館建設の際、この場所に建物の一部を移設し「愛宕邸あたごてい」と名づけた。
青邨は、明治25(1892)年盛岡市に生れ、この周辺が幼い頃の遊び場であったというゆかりの地でもある。
大正11(1922)年高浜虚子に師事、その天分は忽ちにして頭角をあらわし、清純高雅な作風により、昭和4(1929)年ホトトギス同人となる。
また同5年に盛岡から俳誌「夏草」が創刊されるや、これを主宰し多くの俳人を育てた。
庭園内には「遠山のくつがへるさま郭公かっこう鳴く」の句碑が昭和53年岩手夏草会により建てられている。
この愛宕邸は、一般の句会、歌会、茶会等の利用に供しておりますので、利用されたい方は本館事務室までお申し出ください。
(説明板より)
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