明治10年(1877年)7月26日〜昭和42年(1967年)12月17日
神奈川県横須賀市 「記念館三笠」の艦内でお会いしました。
山梨勝之進は明治10年7月26日に仙台藩上士の長男として生まれ、仙台東華中学を経て海軍兵学校に入ります。
明治33年6月、英国で建造された戦艦・三笠を日本に運ぶ回航委員として英国に出張し、日露戦争にも従軍しました。
昭和3年12月には海軍次官となり昭和5年(1930年)のロンドン海軍軍縮会議では調印に尽力し、海軍内の条約派として知られた人物でしたが昭和8年3月には大角[おおすみ]人事で予備役に編入されました。
昭和14年10月から昭和21年10月まで学習院の院長を務め、昭和天皇の訓育にも関与し、第二次世界大戦後の天皇の「人間宣言」にも関係したといわれています。
昭和42年12月17日に没しました。
山梨勝之進は海相になる器といわれた人でしたが、昭和5年、海軍次官の時の”統帥権干犯事件”のために、海軍の主流から外されてしまった悲運の人でした。
明治10年 | 1877 | 7月26日 宮城県仙台市中島町に出生 | |
明治28年 | 1895 | 18歳 | 1月29日 海軍兵学校に入校 |
明治30年 | 1897 | 20歳 | 12月18日 海軍兵学校卒業 海軍少尉候補生として「金剛」乗組 |
明治31年 | 1898 | 21歳 | 3月17日 豪州方面遠洋航海 9月16日 帰着 9月27日 「八島」乗組となる |
明治32年 | 1899 | 22歳 | 2月1日 海軍少尉 |
明治33年 | 1900 | 23歳 | 5月15日 英国で建造の「三笠」回航委員を命ぜられる 9月25日 海軍中尉 |
明治34年 | 1901 | 24歳 | 5月1日 「三笠」乗組 |
明治35年 | 1902 | 25歳 | 3月13日 英国発 5月18日 横須賀着 5月19日 「扶桑」水雷長心得兼分隊長心得(練習艦) |
明治36年 | 1903 | 26歳 | 9月26日 海軍大尉 |
明治37年 | 1904 | 27歳 | 2月6日 竹敷発、日露戦役に従事 5月8日 「済遠」分隊長 10月6日 「扶桑」航海長(第3艦隊) |
明治38年 | 1905 | 28歳 | 8月5日 「千歳」航海長(第2艦隊) 11月15日 第4艦隊参謀 12月20日 練習艦隊参謀 |
明治39年 | 1906 | 29歳 | 1月23日 海軍大学校将校科甲種学生 6月11日 中野トシと結婚 |
明治40年 | 1907 | 30歳 | 12月18日 海軍大学校甲種教程卒業 舞鶴鎮守府参謀兼望楼監督官 |
明治41年 | 1908 | 31歳 | 2月20日 海軍省副官心得兼海軍大臣心得 7月31日 軍事参議官海軍大将山本権兵衛附 9月25日 海軍少佐 |
明治43年 | 1910 | 33歳 | 3月1日 「生駒」分隊長 |
明治44年 | 1911 | 34歳 | 7月15日 海軍省副官兼海軍大臣秘書官 軍事参議官副官 軍事参議官海軍大将山本権兵衛附 |
大正 1年 | 1912 | 35歳 | 12月1日 海軍中佐 |
大正 2年 | 1913 | 36歳 | 2月26日 軍事参議官副官を免ぜられる 4月21日 横須賀鎮守府附 9月20日 「比叡」副長兼横須賀海軍工廠艤装委員 |
大正 3年 | 1914 | 37歳 | 8月20日 海軍軍令部出仕兼参謀 8月25日 横浜発、ドイツ国との戦役に従事 9月16日 シンガポール着 在東洋英国艦隊旗艦「エンプレス・オブ・ジャパン号」に乗艦 12月13日 退艦 |
大正 4年 | 1915 | 38歳 | 2月1日 兼海軍大学校教官 2月9日 海軍軍令部参謀兼海軍大学校教官 12月13日 海軍大学校教官兼海軍軍令部出仕 |
大正 5年 | 1916 | 39歳 | 2月21日 欧米各国へ出張 12月1日 海軍大佐 |
大正 6年 | 1917 | 40歳 | 12月1日 「香取」艦長(第3艦隊) |
大正 7年 | 1918 | 41歳 | 8月22日 舞鶴発、ロシア領沿岸へ戦地服務 11月1日 海軍省出仕 12月1日 海軍省軍務局第1課長 |
大正10年 | 1921 | 44歳 | 8月17日 海軍軍令部出仕 9月27日 ワシントン会議全権委員随員となる 12月1日 海軍少将 |
大正11年 | 1922 | 45歳 | 5月25日 横須賀鎮守府参謀長 |
大正12年 | 1923 | 46歳 | 2月1日 海軍省人事局長 |
大正13年 | 1924 | 47歳 | 12月1日 海軍軍令部出仕 |
大正14年 | 1925 | 48歳 | 4月15日 横須賀海軍工廠長 12月1日 海軍中将 |
大正15年 | 1926 | 49歳 | 12月10日 海軍艦政本部長兼海軍将官会議議員 |
昭和 3年 | 1928 | 51歳 | 12月10日 海軍次官 学習院評議会会員 |
昭和 4年 | 1929 | 52歳 | 2月1日 海軍将官会議議員 |
昭和 5年 | 1930 | 53歳 | 6月10日 依願により本官を免ぜられる 海軍軍令部出仕 6月21日 学習院評議会会員を免ぜられる 12月1日 佐世保鎮守府司令長官 |
昭和 6年 | 1931 | 54歳 | 12月1日 呉鎮守府司令長官 |
昭和 7年 | 1932 | 55歳 | 4月1日 海軍大将 12月1日 海軍参議官 |
昭和 8年 | 1933 | 56歳 | 3月6日 待命 3月11日 予備役 |
昭和14年 | 1939 | 62歳 | 10月7日 学習院長 高等官一等 親任官待遇 学習院評議会会員(昭22・5・2廃止) 宗秩寮審議官(昭22・5・2廃止) |
昭和21年 | 1946 | 69歳 | 10月4日 東宮御教育参与(〜昭和23年10月26日まで) 10月5日 依願により本官を免じられる 学習院長を辞任 |
昭和25年 | 1950 | 73歳 | 11月1日 仙台育英会五城寮舎監 |
昭和27年 | 1952 | 75歳 | 9月14日 水交会初代会長 |
昭和32年 | 1957 | 80歳 | 4月27日 水交会名誉会長 |
昭和33年 | 1958 | 81歳 | 8月20日 仙台育英会五城寮舎監を辞任 |
昭和38年 | 1963 | 86歳 | 4月27日 水交会顧問 |
昭和39年 | 1964 | 87歳 | 4月1日 仙台育英会会長 7月26日 学習院名誉院長 |
昭和41年 | 1966 | 89歳 | 11月3日 宮中杖を御下賜 |
昭和42年 | 1967 | 90歳 | 12月17日 逝去 特旨をもって従二位に叙せられる |
(参考:山梨勝之進 著 『歴史と名将〜戦史に見るリーダーシップの条件〜』 毎日新聞社 昭和57年2月第9刷発行)
(平成29年5月5日 追記)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||