梁川星巌像 平成19年4月3日

梁川星巌 やながわ・せいがん

寛政元年6月18日(1789年7月10日)〜安政5年9月2日(1858年10月8日)

岐阜県大垣市曽根町・曽根城公園でお会いしました。


名は卯、字は伯兎、星巌は号。
美濃国安八郡の郷士の子。
文化4年(1807年)江戸に遊学し、山本北山ほくざんに漢学と詩文を学んだ。
帰郷後、家塾を開き、紅蘭と結婚。
天保5年(1834年)江戸の神田に玉池吟社ぎょくちぎんしゃを開き詩人として活躍。
藤田東湖佐久間象山らと交わって時事への関心を強め、弘化3年(1846年)上洛、頼三樹三郎・梅田雲浜うんぴんら勤皇の志士と接触し、安政の大獄で拘束される直前にコレラで没した。


梁川星巌紅蘭像



梁川星巌紅蘭像

(大垣市・曽根城公園)





(平成19年4月3日)

銘文

梁川星巌紅蘭夫妻はともに文教都市大垣市現曽根町に生を享けられた偉大なる先■の士であります
星巌は激動の幕末にあって小原鉄心横井小楠西郷隆盛僧月性頼三樹三郎所郁太郎ら多くの憂国の士の精神的支柱となり明治回天の礎を基いた先哲であり同時に秀れた詩人でもありました
紅蘭は又夫の意を体して諸藩の志士を扶け内助の誉殊の他高く又詩を良くし画に■じ世人婦道の亀鑑と称揚するところであります
維新の大業成るや星巌は生前の勲功の故を以て正四位を追贈靖国神社に合祀され紅蘭もまた従五位を追贈されました
この度曽根城公園の完成に際し彫刻家寺沢孝明安田修両氏に委嘱夫妻の像を刻しそのゆかりの地に建立して遺徳を敬仰し■■に顕彰致します

平成元年10月2日 星巌紅蘭顕彰会々会 土屋■識

(銘板より)

曽根城公園



曽根城公園
曽根城跡)
(岐阜県大垣市曽根町)





(平成19年4月3日)
庚申塚



庚申像
(岐阜県大垣市曽根町・華渓寺)





(平成19年4月3日)

大垣市指定重要有形民俗文化財
庚申こうしん

中国の道教の教えでは、人の体内にいる三尸さんしの虫が庚申の日の夜、天帝にその人の罪過を告げるので、寿命が縮むといいます。
そのため、庚申の夜には、言行を慎み、健康長寿を祈念しましたが、室町時代以降、仏教的要素が加わり、庚申待ちをする講が流行し、各地に庚申塔(像)が建立されるようになりました。
この庚申像は、寛政12年(1800)梁川星巌が両親を亡くした12歳のおり、曽根村の辻に祀った石像です。
台座の正面に見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が彫られ、背面には『寛政十二年五月如意日』、『祭主 稲津善之丞長澄いなずぜんのじょうながすみ』(星巌の幼名)の刻銘があります。

大垣市教育委員会

(説明板より)

梁川星巌記念館


梁川星巌記念館
(岐阜県大垣市曽根町・華渓寺)

鍵がかかっていました。
いきなり行っては見学できないようです。
要予約?


(平成19年4月3日)
華渓寺


華渓寺
(岐阜県大垣市曽根町1−772−1)

史跡・曽根城本丸跡




(平成19年4月3日)

大垣市指定史跡
曽根城跡

曽根城は、揖斐川の支流平野井川ひらのいかわの湾曲部を利用して築かれた平城である。
創建は、室町時代末期に稲葉通富によってなされ、以後稲葉氏の勢力拡大の拠点であった。
なかでも稲葉良通よしみち(一鉄いってつ)は、西美濃三人衆にも数えられるほどのすぐれた武将で、織田信長豊臣秀吉に仕えて数々の戦功をたてた。
天正16年(1588)西尾光教にしおみつのりが、稲葉氏にかわって曽根城主となるが関ヶ原合戦後、揖斐城に移り廃城となった。
享保19年(1734)良通(一鉄)が生母の菩提を弔うために建てた華渓寺かけいじが現在の地(本丸跡)に移建された。

大垣市教育委員会

(説明板より)


星巌梁川先生の碑



星巌梁川先生之碑

(京都市・京都霊山護国神社)





(平成19年3月17日)
岐阜県招魂場



岐阜県招魂場
(京都市・京都霊山護国神社)





(平成19年3月17日)

岐阜県招魂場

明治3年(1870)梁川星巌の碑が門人により建てられ、また戊辰戦争で戦死した徴兵七番隊の川田敬蔵・家村半三郎(加納藩)中川源八郎・水野定吉(岩手藩)らの碑が建ててある。(北、20m)
平成2年秋、所郁太郎の碑を建立すると共に岐阜県招魂場を整備、毎年碑前祭を行う。

平成8年5月
霊山顕彰会岐阜県支部
―創立15周年記念建立―

(説明板より)


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