慶長19年(1614年)〜貞享2年6月12日(1685年7月13日)
寛永初年頃、大坂で城秀じょうひでの名で三味線の名手として活躍。
のちに江戸に出て法水より筑紫筝つくしごとを学び、それを改訂・増補し、陰音階の調弦を考案して組歌13曲を作り、「六段」「八段」「乱」など筝独奏の段物も作曲したという。
城秀のあと山住勾当こうとう・上永検校城談の名を経て八橋を名乗る。
寛文頃から京都に移住したと思われ、筝曲を盲人音楽家の専業として確立するとともに、一般への普及にも努めた。
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顕彰碑 (福島県いわき市・NHKいわき支局前) (平成20年4月26日) |
顕彰
八橋検校の碑
筝曲六段の作曲家八橋検校は慶長19年(1614年)奥州磐城平 鳥居忠政の城下に生れた
盲人であったが 幼少の頃江戸に出て三弦を学び 山住勾当と称した
肥前諫早の慶巌寺の僧玄恕が筑紫筝の大家であることをきゝ 言語に絶する困難とたゝかい 九州の地をたづね 遂に筑紫筝の奥義を究めた
慶安の頃 京都の六角西に居を定め研究を続け 筑紫筝に「半音」を入れてこれに成功し 組曲13曲をつくった
この間多数の門人を擁して生田 北島 継山などの諸流をつくり わが国筝曲の開祖となった
貞享2年(1685年)6月12日72才の生涯を閉じた
墓は京都黒谷金戒光明寺に在る
検校生誕350周年に当り磐城の生んだ一世の天才筝曲家八橋検校の業績をたゝえこれを後世に残すため 生誕の地に顕彰の碑を建立する所以である
昭和39年6月12日
八橋検校顕彰会
(碑文より)
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八橋検校・生誕の地 (福島県いわき市平字小太郎町3−4付近) (平成20年4月26日) |
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