横光利一 よこみつ・りいち

明治31年(1898年)3月17日〜昭和22年(1947年)12月30日


本名は利一としかず
福島県出身。
菊池寛の知遇を得て、大正12年(1923)に発表された「蝿」「日輪」が出世作。
「文芸時代」創刊によっておこされた新感覚派運動の中心になり、その後も常に第二次世界大戦前の昭和文学の新しい方向を実作・理論の両面から示す、時代をリードする存在であった。


横光利一の碑


「横光利一若き日の五年をこの校に学ぶ」の碑

(三重県上野市)

県指定文化財・第三尋常中学校(現:上野高等学校)の校門近くに建っています。


(平成16年2月8日)

説明板

横光利一(1891〜1947)

大正末期に発表した『日輪』や『頭ならびに腹』などによって川端康成らと共に「新感覚派」とよばれた。
その後、『機械』、『上海』、『紋章』、『家族会議』などを発表して昭和初期の文壇を代表する作家となったが長編『旅愁』が未完のまま病没した。
1911(明治44)年、当時の三重県第三中学校(現・上野高等学校)に入学し、卒業までの5年間をこの校舎で学んだ。
その青春の思い出や初恋の体験を小説『雪解』(昭和8年・20年)に描いている。
幼少時代、大分県出身で鉄道技師の父について転居を重ね、小学校時代の大半を母の郷里の柘植(現・伊賀町)で過ごした。
中学時代と合わせて約10年間過ごした伊賀について「私の故郷である」と書いている。
揮毫は岸宏子氏。
上野市在住の作家で『若き日の芭蕉』など作品多数。
父が横光の従兄弟であり、『ふるさと伊賀上野の横光利一』などで少年利一の横顔を伝えている。




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