東京都台東区池之端1−4−24
開館までの経緯
当館は、日本画の巨匠横山大観(1868〜1958)が住んでいた上野池之端の住居を、そのまま記念館として公開しています。
大観が、ここに住居を構えたのは、明治42年(1909)のことです。
最初は狭かった敷地も、大観が画家として名をなすにしたがって拡張され、大正8年にほぼ現在の規模となりました。
昭和20年(1945)3月10日、空襲により旧住居が焼失したため、大観はしばらく熱海伊豆山の別荘に移り住みます。
昭和29年(1954)8月、焼失した旧住居の土台をそのまま用いて新居が再建され、大観は再び池之端に暮らしはじめます。
以来、昭和33年(1958)2月に90歳で没するまで、ここで数多くの作品を制作しました。
昭和51年(1976)3月に静子夫人が亡くなり、遺族から大観の作品や習作、遺品、画稿、スケッチ帳などが寄贈されて横山大観記念館が設立され、同年11月に開館しました。
当館は、心の安らぎを感じられる美術館をモットーとし、できるかぎり建物の雰囲気をそこなわないよう心がけ、軸装の作品はそのまま床の間に掛けて展示しています。
また、靴を脱いで入る日本建築の良さ、大観がこだわった細部のデザインも存分に楽しむことができます。
展示は3ヶ月ごとに替えています。
(パンフレットより)
横山大観記念館入口 平成15年5月25日訪問 |
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記念館入口の庭 |
横山大観顕彰碑
横山大観先生は近代日本画壇の代表的巨匠である 明治元年水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸に生れ 本名を秀麿 母方の横山の姓を継ぐ
明治26年東京美術学校卒業 校長岡倉天心に愛されて 終生大きな感化を受けた 明治30年東京美術学校助教授となったが1年で職を辞し岡倉天心が創設した日本美術院に下村観山 菱田春草とともに日本画の革新運動を起こした その後美術研究のためインド ヨーロッパ各地及び中国などを視察し 師天心の思想である東洋の理想をうけつぎ 新しい日本画を創造した
明治45年からこの地に居し 画筆をとる 昭和10年帝国美術院会員 昭和12年第1回文化勲章受章
代表作に「無我」「瀟湘八景」「生々流転」の他多くの水墨山水 富士山などがある
昭和32年5月台東区名誉区民に推載された 昭和33年2月歿 90歳
昭和43年10月
東京百年を記念し建立する
東京都台東区長 上條貢
ご案内
開館日:木・金・土・日曜日
休館日:月・火・水曜日(但し、祝日臨時開館あり)
長期休館日:梅雨期(6〜7月)、夏期(8月)、年末年始(12〜1月)
開館時間 10:00〜16:00(入館は15:45まで)
入館料:大人500円、小学生200円
交通:JR「上野駅」「御徒町駅」から徒歩15分
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