米沢彦八 よねざわ・ひこはち (初代)

?〜正徳4年(1714年)


元禄期に大坂の生玉いくたま神社境内を中心に活躍。
仕方物真似しかたものまねと小咄こばなしで人気。
現行の大阪落語の萌芽と思われる軽口かるくち本『軽口大矢数』など数編を残す。


米澤彦八の碑



上方落語発祥の地 米澤彦八の碑
(大阪市天王寺区・生國魂神社)





(平成20年6月16日)

碑文

遠く寛永、正徳の砌、生國魂神社には太平記讀み、芝能、萬歳、人形操りなど諸々の藝能者がイ蝟集し、就中米澤彦八の芝居物真似、軽口咄はよく人の頤を解かしめ、世に彦八咄の稱を弘むるに至ったと云ふ。
享保年中初代彦八没して後も、幸いにしてその滑稽諧謔の精神は絶ゆることなく多くの名人上手輩出してよくその衣鉢を傳へ、遂に今日の上方落語の隆盛を将來した。
所謂、彦八咄の誕生より數へて凡そ三百年、茲に上方落語家相集ひ更めてその遺業を偲びその傳統を継承し、以て益々の藝道精進を誓ふべくこの碑を建立したる次第を略叙し、撰文に代ふると云爾。

平成2年9月5日
三田純市識

生國魂神社



生國魂神社
(大阪市天王寺区生玉町13−9)





(平成20年6月16日)



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