明治23年(1890年)12月20日〜昭和15年(1940年)5月1日
山形県出身。
黒崎研堂。日下部鳴鶴の門下。
大正4年、文検合格。
大正8年上京後、日本書道作振会・戊辰書道会審査員となる。
東方書道会創立に参画し、理事・審査員となる。
松本芳翠、川谷尚亭らと共に昭和初期書壇の若手旗手として名を馳せる。
書壇院を創設し数多くの逸材を育成。
古代より近代にいたる書資料集大成の『碑帖大観』を30代で刊行。
その他、著書多数。
「正しい書」の理念を提唱し実践。
硯の蒐集、研究にも厚い。
51歳で没す。
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吉田苞竹記念館 (東京都港区麻布台1−1−12) 開館時間:午前10時〜午後5時 日・祝日休館(臨時休館あり) 入場料:一般 300円 (平成18年7月25日) |
吉田苞竹記念会館は、1974(昭和49)年、財団法人書壇院および多くの方々の寄金により設立されました。
会館では、苞竹および財団が収集した古硯、書画、碑法帖、書籍などの資料を保管整理し、これらの収蔵品を中心として展示をおこない、書道・書学の研究、普及に貢献しています。
(パンフレットより)
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旧宅と顕彰碑 (記念館の隣) 旧宅は非公開です。 (平成18年7月25日) |
1890年 | 明治23年 | 12月20日出生。名は茂松。号は苞竹。 |
1902年 | 明治35年 | 黒崎研堂の門に入り、漢学・書道を学ぶ。 |
1911年 | 明治44年 | 山形県師範学校卒業。 |
1915年 | 大正 4年 | 文検に合格。 黒崎研堂・比田井天来の紹介により日下部鳴鶴に入門。 |
1919年 | 大正 8年 | 上京。書道研究会を創設。 |
1928年 | 昭和 3年 | 書壇社創設。 |
1940年 | 昭和15年 | 4月30日、税務監督局において講演中に発病(脳出血) 5月1日午前2時10分逝去。 |
(パンフレットより抜粋)
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