吉井勇 よしい・いさむ

明治19年(1886年)10月8日〜昭和35年(1960年)11月19日


東京都出身。
鹿児島藩士出身の伯爵家の次男。
『明星』で歌人としてデビュー。
耽美派の拠点「パンの会」を起こし、『スバル』創刊に参加。
明治43年(1910年)『酒さかほがひ』で頽唐的な歌風を確立。
翌年には象徴劇的な戯曲集『午後三時』を刊行。
代表作は情痴の世界を歌った「祇園歌集』『東京紅灯集』、市井の遊芸人を描いた戯曲集『俳諧亭句楽』。


文学碑



文学碑

(広島県尾道市・千光寺公園文学のこみち)





(平成18年3月21日)

吉井勇

千光寺の御堂へのぼる石段は
わが旅よりも長かりしかな


東京の人、昭和11年、51才のとき、四国路、中国路、瀬戸内に歌行脚を試みたが、その途中、尾道を訪れて浄土寺や千光寺に詣でたときの一首。

(説明板より)


吉井勇歌碑



吉井勇歌碑

(北海道札幌市・大通公園・西4丁目)




(平成22年5月26日)

【碑文】

札幌の木 ライラック

家ごとに
リラの花咲き札幌の
人は楽しく生きてあるらし
     吉井 勇

北国の詩情豊かな札幌は、ライラック(リラ)がよく似合う街です。
昭和34年から大通公園を中心に札幌の初夏を飾るにふさわしい〈さっぽろライラックまつり〉が開かれていますし、“札幌の木”に選ばれたのはその翌年のことでした。
すぐれた歌人の吉井勇氏が昭和30年にこの地を訪れ、その旅の記念として「北遊小吟」五首を残しましたが、ここに刻んだ一首にはライラックを愛する札幌市民の気持が暖かく詠まれています。
ライラックを行花とし、ことし30周年を迎えた北海道銀行のご厚志によりこの歌碑の建立をみましたことを、市民とともに心から喜ぶものです。

碑名の揮毫 板垣武四(札幌市長)
デザイン   小谷博貞(美術家)
昭和56年5月29日
札幌市




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