元第103教育飛行聨隊 慰霊碑 (愛知県幡豆郡三ヶ根山・比島観音霊場) (平成17年4月3日) |
隊誌
昭和17年 5月 | 加古川に於いて第103教育飛行聨隊編成完結 熊本県菊池に移駐、直協軍偵察の操縦教育開始 |
昭和18年 9月 | 南方派遣により比島リパに移駐、操縦教育及び比島作戦に参加 |
昭和19年 3月 | 第3教育飛行隊(軍偵)に改編、改称 |
昭和19年 8月 | 比島サンマルセリノに移駐 軍偵より襲撃機に改編 同年9月敵機の空襲を受け交戦中、谷貝曹長永井軍曹戦死 |
昭和19年10月 | 「セ」号機動により比島より馬来タイピンに移駐 移駐間ルソン島南々西パラワン島沖の海上に於て敵潜水艦の攻撃を受け 近藤大尉以下295名戦死 |
昭和19年11月 | タイピンに於て操縦教育及び岡兵団の作戦に協力 |
昭和20年 1月 | 兵員補充に伴い改編 |
昭和20年 5月 | 昭和17年5月より満3年間に及ぶ少年飛行兵・召集下士官・特別操縦見習士官 ・召集尉官等約630名の操縦者の教育を終了 |
昭和20年 5月 | 七生昭道特別攻撃隊に改編改称し、艦船攻撃・対潜警戒等の作戦任務に就く 石井少尉特攻出撃中戦死 |
昭和20年 7月 | プーケット島沖の英機動部隊を攻撃し、徳永曹長・山本曹長・大村伍長の3機は 壮烈な体当たりを敢行 大型艦2隻を轟撃沈、南方総軍司令官より感状を授与さる |
昭和20年 8月 | 終戦 本隊はレンパン島に抑留、一部は馬来各地に作業隊として残留 |
昭和21年 7月 | 本隊大竹上陸復員 |
昭和22年10月 | 残留部隊復員完了 |
部隊作戦行動図(碑より)
比島残留相澤隊戦没者 | |||||
青森県 | 石神孝一郎 | 兵庫県 | 横山 勇 | 長崎県 | 小島 勉 |
溝尾健二 | 山崎重康 | 小林繁一 | |||
新潟県 | 渡邊 繁 | 廣瀬幸作 | 立石幾久 | ||
神奈川県 | 相澤良夫 | 岡山県 | 西岡政男 | 丸田兵作 | |
愛知県 | 加藤敏雄 | 福岡県 | 進藤酉吉 | 村松尭之 | |
太田貫一 | 牛島米作 | 鹿児島県 | 平八重光志 | ||
佐藤利男 | 脊戸春義 | 清水秋美 | |||
滋賀県 | 田中義二 | 永光宮(冨)男 | 薮岡俊次 | ||
京都府 | 池田三郎 | 宮崎県 | 甲斐繁士 | 西本伍郎 | |
橋本 清 | 佐藤 厚 | 大野幸男 | |||
昭和19年2月頃フィリピン・クラークフィルド飛行場 西方にて射撃訓練中殉職 |
青森県 | 佐々木 |
平成4年3月吉日 菊水会建立
(副碑・碑文より)
【教育飛行連隊】
教育飛行連隊は、いずれも100番台の番号を持ち、昭和16年9月以降に編成された。
教育飛行連隊は台湾、朝鮮、浜松などにも配置された。
(参考:木俣滋郎 著 『陸軍航空隊全史』 朝日ソノラマ 文庫版航空戦史シリーズ90 1994年7月 第6刷発行
(令和2年3月31日 追記)
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