第125飛行場大隊


勲功碑


勲功碑
(愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音霊場)

第百二十五飛行場大隊




(平成20年4月16日)

顕彰の辞

吾等小牧飛行場に編成を終るや直ちにマニラに赴く
時に昭和19年7月
北呂宋ツゲガラオに駐留し アパリ カガヤンの3飛行場に展開す
台湾沖海戦の補給 比島大統領 航空軍司令官の退転などを全うせり
後臨時歩兵隊となり 一隊は東方バワンに陣し 他は中部山岳地を転戦す
この間山野渓谷に雨露疫癘を凌ぎ 兵戈糧食の缺乏に耐え攻撃を排除するも 悲傷 多くの戦友を失う
痛哭語る術なし
茲に殉國の至誠を讃え謹んで武功を顕彰す

昭和54年2月
生存者有志


【飛行場大隊】

飛行場大隊は機体、エンジンの整備、修理を行なう整備中隊(ガソリン車、起動車をもつ)と警備中隊からなっていた。
警備とは敵兵から飛行場を守る歩兵や九八式20ミリ高射機関銃で防空の任に当たる兵力である。

基地でのガソリン車としては「いすず」の九四式六輪と四輪のトラック(1.5トン、70馬力)やトヨタの九七式2トン・トラックが用いられた。
防空用の九八式20ミリ高射機関砲は6門を単位とし、105名で1個中隊をなしたが、これを飛行場が装備したのは昭和18年以降のことである。

夜間、飛行場防衛用には直径1.5メートルの探照灯自動車(「いすず」六輪車、70馬力)が昭和11年に採用になった。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍航空隊全史』 朝日ソノラマ 文庫版航空戦史シリーズ90 1994年7月 第6刷発行)

(平成31年1月4日 追記)



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