九七式自動砲


 平成21年3月19日

グアム島・太平洋戦争博物館

Japanese Model 97 20mm anti-tank rifle

【グアム島の戦い】

自動砲は数が少ないため、歩兵砲中隊や機関銃中隊に同居することが多い。
グアム島で玉砕した第29師団(雷師団・満州にて編成)の場合、自動砲と大隊砲(九二式歩兵砲)各2門ずつで恐るべき97式砲中隊をなし、これが歩兵大隊につけられた。
だが、よほど接近しなければ米戦車の装甲には歯が立たなかった。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月17日 追記)


昭和初期から戦車の発達は目覚ましく、速度も速くなり、装甲も急速に強力となり、従来の初速の遅い歩兵砲ではこれを捕捉して破壊することが難しくなった。
昭和10年、本格的な対戦車砲として九四式速射砲が制定されたが、まもなく、ソ連およびドイツでは歩兵個人が携行できる口径13mm程度の大型対戦車銃があることがわかった。
このため、陸軍では技術本部の吉川喜共少将が主任となり、ソ連より大口径(20mm)で連射性・初速性に優れ、射手1名、運搬手2名、弾薬手1名の組み合わせで迅速に移動できる対戦車自動砲を開発し、昭和12年に完成させた。
これが九七式自動砲と呼ばれた軽対戦車砲である。
砲の機構はガス圧利用の半自動銃で、射手は地上に置かれた自動砲を肉眼で目標に照準し、肩づけで射撃する。
そのガスを利用して次弾が薬室に装填された。
運搬には支持脚のほかに一式重機関銃によく似た搬送槓を使い、射手を含めた3名で人力搬送した。
一般火砲と比較して射撃姿勢は低く、1分間に20発という発射速度を持ち、運搬も簡単なことから、陸軍では歩兵用対戦車火器として大いに期待したが、口径20mmでは既に時代遅れの感があった。
ドイツから伝えられた成形炸薬ジテ弾をもってしても想像以上に強力になっていたソ連やアメリカの戦車には歯が立たなかった。
使用戦場は中国大陸、太平洋戦域に及ぶ。

【九七式自動砲要目】

口径:    20mm
全長:    206.0cm
砲身長:   118.0cm
重量:    72.5kg
発射方式: ガス利用・半自動式
発射速度: 20発/分
給弾方式: 箱形弾倉(7発)
初速:    870m/sec.
最大射程: 5,000m
貫徹力:   250mで3cm

(参考:月刊雑誌『丸』別冊 『日本兵器総集(昭和16年〜20年版)』 昭和52年発行)
(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールドフォトプレス 昭和57年発行)


【対戦車用20ミリ自動砲】

ノモンハンの辛い経験から歩兵部隊に装備されたもの。
この砲は射撃をすると、物凄い反動と発砲音があり、また砲口が低いため発砲時に起る砂塵を防止するため、砲口の下に水を散布したり、湿らせた筵を敷いたものである。
弾倉は5発入りで連発も可能だったが、前脚が華奢で脆弱なため、発砲時は装填手が両手で前脚を把握固定して頭を伏せるのである。
チェコ式軽機関銃と同様、この砲は反動利用のため、砲身は1回転すると、スポンと、いとも簡単に抜けた。
昭和17年には戦車の装甲が飛躍的に増大したため、トーチカの火点制圧用に使用され始めた。

(参考:横山泰和著 『バレテ峠〜第十師団の奮戦とその最期〜』 平成元年・「バレテ峠」刊行会・発行)

(平成23年1月13日追記)


【九七式自動砲】

本砲は箱弾倉に徹甲弾または榴弾7発を装填し、機関砲に類似した機構を持つ歩・騎兵用の火砲である。
主として在満部隊用に整備され、零下35度の中でも射撃機能は良好であった。
雪ゾリや雪上固定具など各種北方戦用のアタッチメントが研究された。

生産は昭和13年からで、小倉陸軍造兵廠第二製造所において開始され、昭和18年1月からは、日本特殊鋼(株)に変えて再開された。

実用発射速度は1分間に7発から12発。
距離350mでは鋼板30mmを貫通、距離700mでは鋼板20mmを貫通した。

運搬は歩兵の場合、2門を3頭の馬に、騎兵の場合は1門を2頭の馬に分載。
弾薬馬は1頭の馬に、歩兵の場合は140発、騎兵の場合は104発を携行した。
また、2名から4名で負紐を装着し、前棍と後棍を持って人力で運搬することもあった。

(佐山二郎著 『大砲入門』 光人NF文庫 1999年発行)

(平成24年3月31日追記)


【九七式自動砲】

ソ連戦車に対抗して37ミリの九四式速射砲(対戦車砲)が採用されたが、これは持ち運びが不便で、生産数も多くなかった。
そこで手軽に移動できる“戦車殺しの兵器”が必要となった。

九七式20ミリ自動砲の外見は機関銃に似ているが、九二式7.7ミリ重機関銃より2割ほど重く、銃身も長い。
130メートルの距離から厚さ1.2センチの装甲板を破り得るよう銃身を長くしたのだ。
しかし歩兵操典には、「別命なくとも500メートルにて射撃を開始せよ」とある。

移動は九二式重機関銃と同じで1頭の馬の背に載せ、別の1頭に弾薬を載せる。
1門につき分隊長を含めて9名がつくが、敵前にくると馬から下し、“お御輿”のように4名で担ぐ。
残り4名は左の肩から右腰にベルトで弾丸を下げてついてくる。

九七式自動砲は機関銃ではないから単発式だが、九六式、九七式軽機関銃のように上方から七発入りの弾倉をガチャンとハメ込んでいた。
歩兵学校が『九七式自動砲、取扱上の参考』という本を印刷して部隊に配り始めたのが昭和18年のことだから、採用後6年もしてから、やっと普及したらしい。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月17日 追記)




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