独立臼砲第18大隊

(通称号:達12400部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
和歌山県加太 昭和19年 北千島北方派遣軍 占守島

無窮の碑 独立臼砲第18大隊慰霊碑
『無窮の碑』
(岡山県護国神社)

昭和50年3月建之
元 独立臼砲第18大隊 千島会有志

題字揮毫 井原市 平櫛田中
施工 西尾石材工業株式会社

(平成16年10月3日)

鎮魂の賦(碑文)

独立臼砲第18大隊昭和19年4月和歌山県加太にて編成
総員648
岡山鳥取京都を軸に二府七県歴戦の精鋭を集め8種の兵科を統合したる軍直轄独立大隊にして5月北海道小樽にて北部軍編入
6月北千島北方派遣軍に配属され北方派遣達第12400部隊と呼称
本部及び第2中隊占守島第1中隊温称古丹島と分進
北千島要塞の一環として日夜築城に粉骨
20年8月ソ連軍不信の動向頓に顕著となり第1中隊に占守集結の急命あり
数艇団に岐れ転進中第3及第4艇団は温称古丹海峡に於て12日米艦隊と遭遇
対応火力なき艇団は悉く炎上
焔の小艇次々と敵陣突入7隻88名玉砕
15日終戦の大詔されど北溟の島に終戦なく16日領土■掠を企図するソ連軍は占守島に対し砲爆撃を反復強行
更に国端地区竹田浜に17日深更不法上陸侵寇し来る
肉弾邀え撃つ三晝夜水際の敵屍3千余
驕敵の野望を完全に破砕するも友軍の犠牲また350
栄光なく記録なき終戦後の戦闘に唯々敵の侮りを排し民族の誇りに殉ぜるは日本人本来の姿愛国の至情と云うべきか
この間第2中隊将士25護国の鬼となりて復た帰らず
20日停戦
10月抑留開始
カムチャッカ沿海州より遠く欧露に分散し忍苦耐艱の歳月思いを家郷に馳せつゝ空しく異国の土と化したるもの数うれば幾許年去り星移るも往時猶眼前に彷彿し痛恨更に鮮烈なり
茲に碑を建て史を刻んで無窮に残す

昭和50年3月

独臼一八千島会

臼砲弾(複製)

臼砲弾(複製)


昭和50年3月吉日
復元製作:KK中備製作所




(平成16年10月3日)

臼砲弾

弾種:榴弾
直径:32糎(センチ)
全長:1米60糎
重量:270瓩(キログラム)
射角:45度
射距離:1千5百米
信管:着発信管

破壊孔:漏斗状
半径 15米
深さ 5米
有効半径 150米

【九八式臼砲】

砲弾の尾部に砲身が結合されている。
通常の火砲は、砲身にこめた弾丸を撃ち出すのだが、この砲では砲身は後方に口を開き、これを発射台の軸にスッポリとかぶせるのである。
砲身末端(全体の中央部)の内部に仕込んだ発射薬に点火すると、砲弾は、お尻に砲身をくっつけたまま飛んで行く。
通常の砲と比べると、何もかもが逆である。
大砲とロケット砲の合体と言うべきか。

この砲の利点は、32センチという大口径の弾丸を発射するにも関わらず、移動が容易であることだった。
普通の24センチ榴弾砲の場合、4つに分解して、それぞれを13トン牽引車で曳く。
15センチ砲でも軍馬12頭が必要である。
ところが九八式臼砲は、大掛かりな発射装置はいらない。
分解した木製の発射台は28人、弾丸は6人で担いで行く。
馬も牽引車もいらないから、山道でも平気である。

九八式臼砲の弾丸は爆弾形をしており、立てると人の肩の高さほどある。
重量は300キロもあり、24センチ榴弾砲の砲丸の1.6倍に相当する。
炸薬量は40キロで、7.5センチの野砲や山砲の砲弾1発の炸薬量は1キロだから、野砲弾40発分に相当する。

しかし、九八式臼砲は、コンクリートとか厚い装甲板を突き破る力はない。
その代わり人馬に対する殺傷力は大きかった。
また、射程距離は短く命中率も悪いが、大型弾を手軽に発射できるのがミソであった。

(参考:木俣滋郎 著 『幻の秘密兵器』 光人社NF文庫 1998年8月発行)

(平成31年4月18日 追記)


占守島  北千島



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